瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島京子『小さいおうち』(2)

 今日の分としては、『小さいおうち』と『柳田國男対談集』の続きを書いて置いたのだが、どちらも完成直前にうたた寝をしてしまって、気付いたときには消えていた。1度ならず2度も消えるとは……と呆れたが、仕方がないので『小さいおうち』の方で、最初は場所の問題を取り上げようと思っていたのだけれども、同じことを書こうとも思えないので(多分日を改めても同じように書けるだろうから)時期の問題を先にして置くことにする。
・主人公とヒロインの年齢(1)*1
 5月24日付(1)の続き。
 この小説は第七章までが主人公の布宮タキが晩年に、小学校卒業後東京に出て来てから終戦直後までを回想した手記で、最終章がタキの没後、甥の次男健史によるその補足、という構成になっている。
 まず、主人公の布宮タキが東京に出て来た、つまりこの物語の中で一番古い時代は第一章3の冒頭の1行、単行本9頁8行め・文庫版11頁14行め、

 わたしが尋常小学校を卒業して、東京へ出たのは、昭和五年の春のことである。


 当時は数えで勘定していたはずだから、尋常小学校を卒業した時点で十四歳か、十三歳のはずである。しかるにこのときの年齢を単行本10頁7行め・文庫版12頁13行め「 十二や、十三の娘に、覚悟なんてものが‥‥」と云うのだから、主人公は現在の常識に従って満年齢で書こうとしていることが分かる。
 第一章5にも単行本15頁16行め・文庫版18頁12行め、最初の奉公先の小説家小中先生の家でのことを叙して「‥‥、十三歳のわたしの目の中に、‥‥」とあって、昭和5年(1930)に満13歳という勘定になっている。そうすると布宮タキの生年は大正6年(1917)ということになる。
 小中家時代は昭和5年春から翌年の夏の1年余である。それは、単行本・13頁4〜5行め・文庫版15頁13〜14行め(改行箇所は単行本「/」文庫版「|」で示した)、

 翌年に、小中先生のお知り合いの娘さんに幼い子供がいて手がかかるので、そちらに|まわって/欲しいと言われて、わたしは別の家の女中に入った。‥‥

とあり、この娘さんがヒロインの「時子奥様」なのだが、第一章6に、単行本17頁12行め・文庫版20頁9行め「夏の午後」に初めて浅野家に奉公に入ったときのことが回想され、単行本18頁17行め・文庫版21頁17行め、

 あのとき奥様は二十二になったばかりで、わたしは八歳下の十四歳だった。‥‥

とあり、昭和6年(1931)夏に主人公は満14歳である。たぶん、夏までに誕生日を迎えているのだ。時子もやはり夏の生まれということになろう。生年は明治42年(1909)ということになる。「幼い息子」は単行本17頁14〜15行め・文庫版20頁13行め「一/歳半かそこらの恭一ぼっちゃん*2」である。昭和5年(1930)の早春か昭和4年(1929)冬、とにかく昭和4年度生という見当が付けられそうだ。但し、第三章1、単行本78頁12行め・文庫版86頁13行め等に拠れば、恭一は昭和13年(1938)に1年遅れで小学校に入学しているから、こうなって見ると昭和5年度の生れという勘定でないとおかしいので、昭和6年(1931)夏の時点で「一歳半」というのは「半」年分余計であろう。とにかく恭一も昭和5年(1930)生で確定させられそうである。
 ちなみに「浅野」というのは時子の初婚の相手で、単行本19頁17〜18行め・文庫版23頁1行め「わたしが/奉公に上がったまさにその年」に、雨の夜、職場の外階段で足を滑らせて死亡している。
 未亡人となってしまった時子は単行本20頁3行め・文庫版23頁5行め「旦那様が三男坊」であったこともあって、単行本20頁3〜4行め・文庫版23頁5〜6行め「恭一ぼ|っちゃん/を連れて、いったん実家に帰った。わたしはお二人についていった。」ということになり、単行本20頁5〜6行め・文庫版23頁7〜8行め「子|連れ、女/中連れで、奥様は、昭和七年の暮れに平井家に嫁いだ。」となるのだが、1年ほど暮らしたはずの時子の実家での生活は、何等説明されていない。この手記はかなり細々したことまで(少々煩いくらいに)書いているので、この1年余がごっそり抜け落ちているのは、少々不自然なように感じられる。(以下続稿)

*1:6月10日見出し追加。

*2:ルビ「きょういち」文庫版は「きよういち」。