瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島京子『小さいおうち』(08)

・健史の元彼女(2)
 健史の元彼女のことは、布宮タキのノートにも記述されている。
 健史は昭和15年(1940)の美術雑誌『みづゑ』の〈紀元二千六百年奉祝美術展覧会〉の特集号を、第四章6、単行本136頁7〜8行め・文庫版149頁7〜8行め「大学に気になる女学生がいて、その子が絵本作家志望で『みづゑ』のファン|であるた/め」に借りて、単行本136頁13行め・文庫版149頁13行め「翌日」早速見せて「興奮して帰って」来る。
 これはノートの執筆時期では2年めのことで、これをきっかけに健史はこの女学生と交際するに至るのである。
 健史と元彼女の交際期間だが、最終章4、単行本294頁15〜16行め・文庫版314頁13行めに「彼女と過ごした/二年間は」とある。
 従って、健史は平成18年(2006)3月卒業の「数ヶ月」前、平成17年(2005)秋頃の彼女の上京と同時に疎遠になったと思われるのだが、その「二年」前からとすれば平成15年(2003)秋頃、最終的に終止符の打たれた頃と見て、平成18年(2006)3月から計算すると平成16年(2004)早春ということになる。
 タキのノートは第三章から2年めに入っているから、第四章はやはりまだ寒い時期の執筆になるのだろう。従って、確証はないけれども一応後者で考えて置くことにする。そうすると、1年めは平成15年(2003)、2年めは平成16年(2004)である。大学2年生の終り頃から交際を始めて、卒業間際までの2年間、続いたということである。
 タキのノートが中絶したのは2年めの途中で、死去した平成17年(2005)までは1年ほど余裕がある。前者の可能性を取ると1年めは平成14年(2002)になり、中絶してから死亡するまで2年の余裕が出来る。この1年か2年かは、短い方が良いような気もするが、印象の問題で確証は得られない。

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 ここで、疑問箇所として挙げて置いた第一章2、単行本7頁12行め・文庫版9頁14行めの「わたしもすでに米寿を越え、」について結論を出して置こう。
 当初、私はこれを執筆時期の上限に設定していた。いや、初めにここを読んだとき、私は主人公布宮タキは満89歳かそれ以上の高齢なのだと思っていた。ところが、下限を考えたとき、主人公は満89歳になる前には没しているので、この「米寿を越え」とは、満88歳の誕生日を「越え」たということなのかと、今からすると苦しい理屈を考えて見たのであった。
 けれども、他の条件も勘案して見るに「すでに米寿を越え」は誤りであって、執筆時期は主人公が米寿の誕生日を迎える1年以上前で、かつ主人公は米寿を迎える直前に死亡していること*1も、ほぼ確実なのである。
 従って、この記述は改めるべきである。6月9日付(6)に示して置いたような「わたしも三年後には米寿を迎えることになり、」か、「わたしも再来年は米寿を迎えることになり、」とでもして置かないと、可笑しい。ここを修正してもらえると、タキのノートの執筆時期を確定させることが出来る。とにかく、このままではいけないことは明らかなのだから、増刷の折にでも訂正すべきであろう。――「米寿」まで2年か3年か、ならば主人公の勘違いで済ませても良いが、「米寿」の祝いをしたかしなかったかの勘違いは、ボケかけた主人公でも流石にしないだろう。(以下続稿)

*1:6月14日追記6月9日付(06)に指摘した。