瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島京子『小さいおうち』(13)

・布宮タキの親族(1)
 近くに住んでいる甥一家のことは第一章1から見えている。甥は最終章2、単行本282頁16行め・文庫版301頁10行めにのみ「智*1」という名前であることが示されている。それはともかく第一章1に戻って、この甥はタキの「貯金」の「一部を株にして‥‥運用し」たり、第一章2、タキに女中の仕事は「家事代行サービス」が取って代わったことを教えたりしている。さらに単行本7頁15行め〜8頁2行め・文庫版10頁1〜7行め、「女中」という語についての考察にも登場する。

 いつ、日本から「女中」という言葉がほんとうに消え去ったかについては、きっと、|専門に勉/強している方もおられるような重大問題であろうが、わたしの記憶では、昭和|四十年代くらいに/は、まだ残っていたように思う。高校生だった甥が、『赤頭巾ちゃ|ん』だか『黒頭巾ちゃん』だ/かいう流行小説を読んでいて、その中に、お手伝いさんじ|ゃなくて女中と呼んでくれ、と胸を叩/く女中のよっちゃん、というのが出てくると教え|てくれた。なんだかちょっと伯母さんみたいだ/ね、と聞かされたことがあったが、あの|あたりが最後であろうか。


 当時高校生の甥が読んでいる「流行小説」の『赤頭巾ちゃん』とは、庄司薫(1937.4.19生)の『赤頭巾ちゃん気をつけて』である。

赤頭巾ちゃん気をつけて

赤頭巾ちゃん気をつけて

赤頭巾ちゃん気をつけて

赤頭巾ちゃん気をつけて

赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫)

赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫)

赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)

赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)

 初出は「中央公論」昭和44年5月号、昭和44年(1969)7月18日に第61回芥川賞(昭和44年上半期)を受賞している。8月には単行本(中央公論社)刊、「文藝春秋」昭和44年9月号に再録、森谷司郎監督(東宝)により映画化もされ昭和45年(1970)8月4日に公開されている。
赤頭巾ちゃん気をつけて [DVD]

赤頭巾ちゃん気をつけて [DVD]

 『黒頭巾ちゃん』と云うのは(笑)その続編で「中央公論」昭和44年8月号から10月号に連載、11月に単行本(中央公論社)刊行の『さよなら怪傑黒頭巾』である。
さよなら快傑黒頭巾 (1969年)

さよなら快傑黒頭巾 (1969年)

さよなら快傑黒頭巾 (中公文庫)

さよなら快傑黒頭巾 (中公文庫)

さよなら快傑黒頭巾 (新潮文庫)

さよなら快傑黒頭巾 (新潮文庫)

 私の生まれる前で、流行当時読んだという人も周囲にいなかったので、私はまだ読んでいないのだけれども、当時の流行ぶりがどんな風だったのか分からないのだが、昭和44年(1969)度の後半と見て置いて良いのであろう。従って甥の生年は、当時高校三年生として上限が昭和26年(1951)4月、高校一年生として下限が昭和29年(1954)3月となる*2。次男の健史が昭和58年(1983)生だから、無難な設定と云うべきである。
 甥の母親のことは、昭和19年(1944)3月に平井家を辞して故郷山形に帰ったときの、家族の様子を説明した中に見えている。第七章3、タキの兄弟は6人で「上の兄」は「中支」で「負傷」して「帰国し、その後、仙台の工場で働いていたが」今は「女房と子供二人連れて、戻ってきてい」る。しかし帰郷の理由が「やはり空襲が怖いという」ことになっているのは、この時期としては早きに過ぎるのではないか。まぁタキが耄碌して記憶違いをしていた、ということにすれば良いのだけれども。続いて残りの兄弟についても、単行本243頁15〜16行め・文庫版261頁8〜10行め、

 下の兄は兵隊で外地。嫁いでいた姉二人も、夫をそれぞれ兵隊と徴用で取られたため、|子連れ/で疎開してきて、年の離れた下の妹はまだ嫁に行かずにいた。この、下の妹の孫|が、健史だ。‥‥

とあるのだが、2人の姉のどちらかの息子が、6月9日付(06)でも触れた「軍治おじさん」である。(以下続稿)

*1:ルビ「さとし」。

*2:健史の父は、最終章2、単行本282頁10行め・文庫版301頁4行め「‥‥。俺みたいに、戦後生まれは、|‥‥」と言っている。