瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島京子『小さいおうち』(16)

・女性編集者への対応(1)
 前回見た、女性編集者に関する記述は、健史の登場する場面と合わせて、もう少し詳しく見て置いた方が良いであろう。
 第一章2、単行本頁行め・文庫版9頁2〜4行め、

 今日、出版社の編集者と名乗る若い女性が家へやってきて、こんどの本の打ち合わせ|をしましょうと言った。
 まえまえからわたしは、次の本の構想について話してあったからだ。


 第一章1が書かれたのはこの打合せの前なのか、それとも後なのか分からないが、「この本は、「家事読本」ではない、と」宣告している。けれども打合せ(第一章2及び4)は前回書いたように食い違って終っている。「話してあった」という「構想」もどの程度であったのか、疑問である。
 果ては「コンセプト」という「カタカナ英語」を使ったことで「うまくやっていけないのではないかと感じ始めた」り、「テープに録音して欲しい」という要求を「書くことを決めてからいたしますの一点張り」で突っぱねられて「これでは話にもならない」と呆れたりする。「お書きになりたいことって、自分史みたいなことでしょうか」の「自分史、がもうわからないで困る」と文句を云う。「自分史」が日本語としてどうか、などという問題は、この編集者に言ってみても仕方がない。
 「自分史」は歴史家色川大吉(1925.7.23生)が“元祖”を名乗っている。

“元祖”が語る自分史のすべて

“元祖”が語る自分史のすべて

鼎談 民衆史の発掘―戦後史学史と自分史を通して (つくばね叢書)

鼎談 民衆史の発掘―戦後史学史と自分史を通して (つくばね叢書)

廃墟に立つ 昭和自分史(一九四五‐四九年)

廃墟に立つ 昭和自分史(一九四五‐四九年)

昭和へのレクイエム――自分史最終篇

昭和へのレクイエム――自分史最終篇

 “元祖”色川氏に言って下さい。
 ついでに著名人の便乗(?)本を挙げて置く。
書き込み年表式自分史アルバム

書き込み年表式自分史アルバム

齋藤式 自分史の書き方―いますぐ書きたくなる

齋藤式 自分史の書き方―いますぐ書きたくなる

自分史の書き方

自分史の書き方

 これらの本は当時まだ刊行されていなかったから、タキが執筆を始める前に出たものを、挙げて置こう。
実習 自分史の書き方

実習 自分史の書き方

あ、これならわかる自分史の書き方

あ、これならわかる自分史の書き方

 まぁここら辺は女性編集者を「いらいら」させるために、作者はわざと屁理屈を書かせているのだろうけれども。しまいには「それだとちょっと、うちでは出せない」或いは「ジヒシュッパンの部署の者を紹介しましょうか」と言われて、「お慈悲やなんかで出してもらわなくともかまわないのだ」と、まさか「自分史」を知らなくとも「自費出版」を知らないとは思えないから「ジヒ」と書いたのは「慈悲」に取りなすための伏線なのだが、ここまで相手に言わせて「不愉快」な表情をして見せては、この編集者(でなくとも同じ編集部から別の人)が再び訪ねて来るとは思えない。
 ここまではタキにノートを執筆させる動機付けで、編集者と決裂しないと好き勝手に書く、ということにならないから、こうしているのだろうけれども、正直なところ私も「いらいら」した。それだのに後々まで女性編集者への期待を書いているタキに、すなわち出版社から出してもらえると考えていたらしいタキに、健史から「ジヒシュッパンするしかないでしょ? 家事読本で儲かったんだし」の一言くらいあっても良さそうなものだ*1と思ってしまうのである*2
 それはともかく、女性編集者は「なにを書いたらよいかわからない」タキに、後日、この類の本を送ってやれば良かったのだ。自社の出版物でないと不味いのかも知れないけれども。(以下続稿)

*1:この、女性編集者への虚しい期待が、タキにノート執筆を続けさせている側面もあるから、それをはっきり言われてしまっては、話が続かなくなるのだけれども。

*2:だから、ここに挙げたタキの偏屈さについては別に何とも思っていない。健史が何ともしようとしないのを、奇妙だと思うのだ。タキ「おばあちゃん」に遠慮がある訳でもないのに。健史の、――歴史に対する過干渉と、出版に対する不干渉の、落差の理由が分からないから、もやもやするのである。……いや、健史が、ご都合主義的な登場人物に見えてしまうのだ。