瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島京子『小さいおうち』(17)

 昨日の続き。
・布宮タキの親族(4)
 こんな調子だから、もちろん甥の妻とも上手く行くはずがないので、たまに一緒に食事をしているが、普段の交渉は遠慮のない「近頃の若い人」健史に任せて、直に接することを避けている風である。
 甥の嫁が登場するのは、第二章11、ノートの1年めの「年の瀬」について、単行本73頁6〜14行め・文庫版80頁11行め〜81頁3行め、

 先日、甥のところに夕飯をよばれたが、そのときに、
「わたしたち、年末から、日本にいないんですよ」
 と、甥の嫁に言われた。
 大晦日からハワイに行くのだそうだ。昨年嫁に行った娘と婿が、二家族いっしょにと|誘ってく/れたと、ばかに嬉しそうにしている。こういうとき、おばあちゃんもいっしょ|にとは、けっして/言ってくれない。言われても行こうとは思わないけど。*1
 健史はハワイには行かないが、バイク友達と初日の出ツーリングだそうで、これで、|わたしの/正月は一人と決まったらしい。べつに、さみしいとも思わない。誰かといっし|ょにいたからとい/って、さみしくないとも限らないのだ。


 屈折した書き方である。ハワイ旅行のことは6月8日付(08)、甥の娘のことは6月18日付(15)でも触れた。
 こうした扱いについて、健史はタキの没後、次のように回想する。最終章2、単行本280頁5〜8行め・文庫版298頁14〜17行め、

 僕の母はべつに悪い人間ではないけれど、大伯母にちっとも優しくなかった。父は早|くに両親/を亡くし、大伯母が親代わりだったという経緯があるので、母にとっては姑の|ようなもので、家/事全般におそろしいまでの自信を持つ、夫の伯母にあたるこの女性が、|若い時はかなり疎ましか/ったらしい。*2


 健史の父の両親のことは、6月17日付(14)で触れ、この引用の一部も引いて置いた。
 もちろん甥の娘(健史の姉)も、母のこのような感情を知っているから、ハワイになど誘わない。誘ったところで、どうせひねくれた拒絶の言葉があるだけだろうし。
 タキは甥夫婦と同居したことはないようだ。タキは最終章3、「引退して茨城に引っ込むまでは、東武線沿線の家庭で働いていた」のだが、第一章1「渡辺家を最後に‥‥茨城の田舎に引っ込み、細々ながら一人暮らしを続けている」という次第で、「渡辺様のお嬢さん」の「紹介」で本を出したのは「二年ほどまえ」なのだが、引退したのは10年以上前のことであるらしい。第一章7、単行本20頁8〜11行め・文庫版23頁10〜13行め、

 いま、わたしが住んでいるのは、甥が新しく借りてくれた1LDKのマンションだ。|先々月に、/長いこと住んでいた市営住宅が取り壊しになった。住んでいたのは、ほとん|どがひとり身の老人/だったが、おかげさまで家賃の安いこちらに優先的に入れてもらう|ことができたのは、ありがた/いことだった。


 「茨城」の「市営住宅」に「長いこと住んでいた」はずだから、まぁ10年くらい前から、甥の家の近くに移り住んでいたと見当が付けられるのである。そして恐らくノートを書き始めた年に、終の棲家となったマンションに移り住んでいるのである。
 それはともかく、将来も同居するつもりのないことは、第一章1、単行本7頁10〜11行め・文庫版7頁10〜11行め「少しは貯金もあるから、体が利かなくなったらその|お金で老人ホームにでも入ろうと思/って」いて、甥の嫁の世話になろうなどとは思っていないことからも明らかである。(以下続稿)

*1:ルビ「おおみそか」。

*2:ルビ「うと」。