瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島京子『小さいおうち』(24)

・最終章「小さいおうち」の構成(1)
 第七章まではタキのノートで、【A】回想と【B】執筆時を往来する。それが落ち着かないというレビューもあるようだが、【A】過去と【B】現在は、それぞれの時系列に沿って、特に【B】は執筆時の主として健史とのやりとりなのだから乱れようがないのだけれども、書かれている。【A】にも乱れがないのが却って不自然に感じられる人もいるかも知れないし、一部レビューで怒濤の勢いで伏線を回収している、と指摘されているように、【A】に書かれていることが、最終章で健史が問題にする「謎」以外には何も残らない程、殆ど無駄な要素がないことも、不自然ではある。試行錯誤しつつ書き綴っているような風に、装ってはいるけれども。――それでいて、6月12日付(09)に指摘したように、主人公タキがヒロイン時子に仕え始めた昭和6年(1931)夏から「小さいおうち」が建つ昭和10年(1935)の頭までの、主人公がヒロインと過ごした最初の3年余というかなり重要な時期がすっぽり抜け落ちている。初めから書かないのは無駄がなさ過ぎる構成とともにやはり不自然な気がするのだけれども。
 タキはノートを本の草稿として書いている。だからこの、一方に不自然な省略があり、他方で不自然に無駄のない、タキのノートを読まされているうちに、初めからタキがヒロインをめぐる「恋愛事件」の曝露を目的として書いているような、そんな気分にさせられるのだ。本書に嫌悪感を抱く読者のいる理由は、恐らくここにある。
 しかしながら、最後には「隠す」ことにして、隠し場所を忘れてしまい続きが書けなくなってしまうので、6月8日付(05)に一部を抜いた第七章10の全文を抜いて、タキが執筆時期の末期にこのノートをどうするつもりだったのか、確認して見よう。単行本265頁13行め〜266頁3行め・文庫版284頁9〜15行め、

 わたしはいったい、何を書こうとしていたのだったか。
 胸を抉るような後悔が、こんな年になってもまだ襲ってくる。書いているうちに閉じ|ておいた/ものが蓋を開けて、幾通りものやり方で責めたててくる。*1
 健史になど、見せなければよかった。もう、見せるのはよそう。
 これからまた、隠し場所を考えなければならない。
 あの、出版社の女の子は、とうとう何の連絡も寄越さなくなったけれど、いずれにし|ても何か/見せるとしたら、これではなく別のものにしよう。


 6月19日付(16)にも指摘したように、タキは最後まで若い女性編集者を虚しく当てにしていたのだが、結局「別のもの」を作成することもなく終わっている。
 とにかくタキは、このノートはそのまま発表出来るものではないと、ここにはっきり表明している訳だ。
 けれども、ノートはこうしてタキの意思に反して『小さいおうち』という本になって、宣伝の帯に云う「ひそやかな恋愛事件」は、満天下に曝されている。……ことになる。
 いったい誰が、こんなことをしたのだろうか?

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 ここで思い出すのは、夏目漱石こゝろ』(大正三年九月十七日印刷・大正三年九月二十日發行・定價金壹圓五拾錢・岩波書店・426頁)で、下「先生と遺書」の最後の「五十六」節の、最後の段落が次のようになっていることである。初版本の425頁13行め〜426頁行め、

 私は私の過去を善惡ともに他の參考に供する積です。然し妻だけはたつた/一人の例外だと承知して下さい。私は妻には何にも知らせたくないのです。/妻が己れの過去に對してもつ記憶を、成るべく純白に保存して置いて遣りた/いのが私の唯一の希望なのですから、私が死んだ後でも、妻が生きてゐる以/上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、凡てを腹の中に仕舞つ/て置いて下さい』*2


 この遺書中の「私」すなわち『こゝろ』上「先生と私」中「兩親と私」での「先生」は、乃木希典(1849〜1912.9.13)の殉死を新聞で読んでから2週間程してから、大正元年(1912)9月末か、10月の頭には自殺していると思われるのだが、大正3年(1914)4月20日から8月11日まで「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」に連載されたから、「先生」の云う「妻」すなわち遺書の結婚前の場面では「お孃さん」で、上「先生と私」中「兩親と私」の地の文での「奥さん」が「生きてゐる以上は」隠して置くように、という「先生の遺書」が、2年も経たないうちに新聞連載小説になっていることから、大正3年現在の小説ではなくてもっと未来に書かれた小説なのだとか、遺書を受け取った「私」(すなわち、上「先生と私」中「兩親と私」の「私」)は「妻」すなわち「奥さん」と結婚したのだとか、いろいろな説が提示されて昭和末に論争になったと云うのである。もちろん私はその当時のことは知らない。――丁度その頃、高校の授業で『こゝろ』を読まされて(拙劣な授業のため)大嫌いになったので、その後もそんな話になっていたとは知らずにいた。それはともかくとして。
 この、タキのノート公開の謎も、これと似たようなもので是非をまともに論じても仕方がないので、この世ならぬパラレルな小説の世界の話なので、この世で何をされようが登場人物の与り知らぬことなのである。
 そのことを意識させるためか、最終章は健史が“書いた”ように見せて、実はそうでないというような乱し方を、意図的に施しているのである。(以下続稿)

*1:ルビ「えぐ」。

*2:ルビ「わたくし・わたくし・くわこ・ぜんあく・ひと・さんかう・きよう・つもり・しか・さい/ひとり・れいぐわい・しようち・くだ・わたくし・さい・なん・し/さい・おの・くわこ・たい・きおく・な・じゆんぱく・ほぞん・お・や/わたくし・ゆゐ・きばう・わたくし・し・あと・さい・い・い/じやう・かぎ・う・あ・わたくし・ひみつ・すべ・はら・なか・しま/お・くだ」。