瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島京子『小さいおうち』(25)

・最終章「小さいおうち」の構成(2)
 第七章まではタキのノートをそのまま示していることになっている(それとはっきり断っている訳ではない)が、最終章はタキの没後のことになっていて、これまでの章と違って裏が白紙の扉(頁付なし)がある。単行本の扉(273頁)は中央に15.2×9.9cmの匡郭があって、郭外は灰色地、郭内は上部に横組みで「最終章小さいおうち」とあって中央にブリキのジープのイラスト。文庫版(291頁)には匡郭がなく単行本と同じ大きさで文字とイラストが入る。文庫版の大きさは15.2×10.5cmで単行本の匡郭とほぼ同じ大きさだが、単行本の上の余白(匡郭内)は2.8cmだったのが、文庫版では3.6cmで文字とイラストは下にずらされている。
 それはともかく、第七章までは全てタキの視点から書かれていたが、最終章は一応、健史の視点から書かれている。
 最終章1は、「キュレーター」の説明を「‥‥だそうだ。」「‥‥たのだろう。」と文章に纏めているという体裁で、途中からキュレーターの説明を鍵括弧で括ってそのまま引用しつつ述べている。
 最終章2は、「僕」の語りで、「大伯母」タキの「最晩年」から「軍治おじさん」を訪ねるところまでが述べられる。
 最終章3は、「軍治おじさん」から聞いた、「大伯母」タキが「昭和二十一年の正月」に「戦後初めて東京に出た」ときの様子が述べられ、最後に「僕」と軍治・景子夫妻の間に質疑応答がある。
 最終章4は、「軍治おじさん」の話をヒントに、「大伯母」タキの遺品から「小さいブリキのジープ」と差出人が「平井時子」で「宛名のない手紙」を見付け、そしてタキのノートに登場する「睦子さん」、そして「板倉さん」を突き止めるまで。
 最終章5は6月10日付(07)に触れたように、最終章4で「僕」が「板倉さん」を「イタクラ・ショージ」と突き止めることになる、雑誌の記事をそのまま(字体もそのまま)引用したことになっている。
 最終章6は「イタクラ・ショージ記念館」の「キュレーター」との会話、そして「来館者が名前と住所を記帳するノート」に「平井恭一」の名を見出すまで。
 最終章7は石川県の「海に近い場所」に住む平井恭一を訪ねて「大伯母の、タキの話」をするところまで。
 最終章8は平井恭一と砂浜に散歩に出た「僕」が、平井時子の未開封の書簡を開封し、目の見えない平井氏に促されて読み上げるまで。
 最終章9は散歩の場面の続きから、その晩に金沢のホテルで「僕」が感慨にふけるまで。
 こうして見ると、最終章1は順序からすると最終章5の次に来るべき場面*1で、そこをわざと倒置して強調していることになる。そう云えば話を聞いている人物は最後まで一人称を使わず、最後の1行(単行本278頁10行め・文庫版296頁17行め)に、

 彼女は僕の、学生時代のガールフレンドに似ていた。

と語り手の「僕」が登場して来て、以下の節(5を除く)に引き継がれていくことになる。
 昨日「こころ論争」について触れたように、タキのノートを公開しうる人物がいるとすれば、それは「僕」すなわち健史以外にいない。作中でタキのノートを読んだ人物は、健史だけである。しかし最終章4、「イタクラ・ショージ記念館」を訪ねて「キュレーター」に「話がしたい」と面会を求めるものの、「グループ見学者」に「彼女」が「説明」するのを「聞いているうちに」健史は「平井時子と板倉正治の恋が明らかにされ、それを団体の観光客がこぞって知ることに、なんの意味があるだろう」と思い直し、この「美術史上の、あるいはカルト漫画界においての、画期的な発見」に「手を貸す」ことを躊躇する。
 さらに平井時子の書簡を開封したことで最終章9、「僕」には「けっして正しい答えが見つけられない」まま、問題はより複雑な様相を呈することになる。それでやっぱり「気が変わって」タキのノートを公開したのか、というと、そうとも読めない。(以下続稿)

*1:最終章6と同じく平成21年(2009)5月のことである。