瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島京子『小さいおうち』(27)

・最終章「小さいおうち」の構成(4)
 本書が、額縁小説の冒頭になされることの多い“公開”の経緯やら動機やらを説明せずに済ませているのは、取りも直さずノートの所有者たる健史がノートを“公開”したのではないからで、最終章で健史が見せる、6月24日付(21)に注意した「内容も‥‥それほど面白くなかったし」などという冷淡さからも、健史がこのノートにさほどの価値を認めていなかったことは明らかである。
 夏目漱石こゝろ』は額縁小説とされていないようだが、上「先生と私」中「兩親と私」があって、遺書そのままという設定の、下「先生と遺書」の内容が了解されるような恰好になっている。この遺書の“公開”について6月27日付(24)に引いて置いたが「先生」は「私は私の過去を善惡ともに他の參考に供する積」だといっているが、1つだけ「私が死んだ後でも、妻が生きてゐる以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密と」すべきことが条件となっている。そこで、遺書を受け取った「私」が“公開”した筈だのに、大正3年(1914)では「先生」が死んで2年も経たぬ計算になるので、いろいろ奇妙な説明が提出されているのである。私は、小説に書いてある分の時間は、その限りで実在の時間と関連付けないといけないと思うけれども、作者が書きもしないところまで関連付けても仕方がないと思うのだ。ジョージ・オーウェル(1903.6.25〜1950.1.21)の『1984』を実際の1984年と関連付けて解釈しても仕方がない。『1984』と実際の「1984年」とを比較するのならまだしも。だって「先生」も「私」も「奥さん」も実在の人物ではないのだから、この世に酷似するけれどもこの世とはまた別の世界での出来事とする他はない。
 とにかく『こゝろ』は遺書を書く以前の「先生」本人の言動がまず語られるので、遺書を読む分には混乱はしないが、その後どうしたのかを説明する“額縁”が存在しないので、その後の展開について奇妙なことを言い出す人が現れることとなったのだけれども、本書では、何故一老女のノートが読者の前に示されることになっているのか説明する“序章”を作らなかったので、事情が呑み込めないまま、この手の回想記には普通書かないようなことにまで踏み込んでしまうタキのノートに違和感を覚える読者が現れることになる。
 このノートについての客観的な経緯は、全てを読まされた後に置かれた最終章に、ある程度語られることになるが、最終章は健史が当初、このノートに対して積極的になれなった理由を強調する作りになっていて、――タキが最晩年にノートを紛失し、ボケて来たタキに健史を責めさせて困惑させて、健史にノートに対する嫌な思い出作り(?)をさせて、タキの没後ノートを引き継いだ健史をして、ノートをすぐにでも読もうという気分にさせない。むしろ、遠避けたがるよう仕向けている。
 そのため、2年ほどのブランクを置いて再びノートの内容に接した健史は、タキのノートに批判的に書き込まれた、執筆時にタキに度々絡んだ自分の行状について、綺麗さっぱり忘れてしまったかのように何の問題にもしない。健史が問題にするのはノートが未完のまま「書こう」としたことを全て明かすことなく終わっていること、だけなのである。(以下続稿)