・時子の両親の疎開
昨日の続きで、恭一が北陸地方に暮らしている理由だが、最終章7、健史が訪問したときに本人が以下のように話している。単行本309頁12〜16行め・文庫版330頁11〜14行め*1、
‥‥。彼は/一通り、話してくれた。たまたま友人宅に泊まりがけで遊びに行っていたため|に空襲を逃れたが、/両親を亡くして福井の祖父母のもとに身を寄せたこと、終戦後に福|井の中学に転校して、最終的/には金沢の大学に行き、県内の小さな町の役場に就職した|こと。結婚し、子供が生まれ、巣立ち、/いまは二十歳の孫がいることなど。
時子の両親が福井にいたのは、タキのノートに説明がある。第七章6、タキは世話をしている疎開児童のうち六年生が中学入試のために上京するのに付き添って上京することになり、「昭和二十年、三月六日」の、第七章8、「八時」の「夜行」に乗って「七日の朝に上野に着」き、そして帰りの汽車までの時間で平井家を訪ねる。そのうち、第七章9に“その他の話題”扱いで簡単に済まされているものに、単行本262頁5〜7行め・文庫版281頁1〜3行め*2、
旦那様やぼっちゃんが毎日何をして過ごされているか、眼鏡をかけた正人ぼっちゃん|が応召な/さったこと、ご実家のご両親が福井に疎開されたことなど、懐かしい方々の近|況を時子奥様はお/話しされた。
「正人ぼっちゃん」については6月13日付(10)にやや詳しく触れた。戦後、正人やその母である「麻布の奥様」がどうなったのか、その消息は全く説明されていない。健史は恭一に尋ねたのか、それとも聞かなかったのか。第七章11、単行本268頁11〜14行め・文庫版287頁9〜12行め*3、東京大空襲の直後に出された平井時子のタキ宛葉書が紹介されているが、その中に12〜13行め*4、「‥‥。麻布の姉には、義兄の親戚のある山梨へ行く話|が持ち上がってい/ます。‥‥」とあるのが最後である。
なお、時子の旧姓は須賀である。6月18日付(15)で取り上げた第六章5、タキが小中先生に再会する場面に、単行本206頁11〜14行め・文庫版223頁3〜7行め*5、
「いやあ、驚いた。いくつになったね? いい娘さんになったじゃないか。こりゃまいった。ま/だ、須賀のお嬢さんのところにご奉公しているのかね?」
須賀、というのは、時子奥様のご実家の姓だった。
「はい、時子様が、玩具会社の平井様にお嫁に行かれまして、わたしもついてまいりました」
という会話がある。小中先生と須賀家とは、6月3日付(02)でも触れたように「お知り合い」の関係で、小中先生は単行本206頁18〜207頁1行め・文庫版223頁11〜12行め*6、「‥‥ 僕は、時子なんぞ、おし|めを当て/てるころから知ってる」のであった。(以下続稿)