瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島京子『小さいおうち』(33)

Wikipediaの説明について(2)
 一昨日の続きで「登場人物」の節を確認して見る。

布宮 タキ(ぬのみや タキ)
元女中。女中として培った家事の知恵などをまとめた書籍を出版し、好評を得る。編集者に2作目の執筆を勧められ、自身の回想録を出版できないかと持ちかけ、次第に過去の記憶がよみがえっていく。
‥‥


 「2作目の執筆」は、6月19日付(16)に引用した箇所の書き方を見るに、どうもタキの方から「持ちかけ」たもののようで、これに、「家事読本」が「だいぶ売れた」こともあって出版社が乗ったらしい。但し編集者は「家事読本」の担当者とは違うようで、そこからまず話が噛み合わなくなって来るのである。だとすると、タキは新たに自分の担当になった若い女性編集者に言いがかりに近い不満を感じてノートに書き付けるのではなくて、「次の本」も「家事読本」の担当者と作りたい、もし今、担当している仕事が忙しいようであれば、それが済んでからでも良いので来て欲しい。自分はそれまでの間、「次の本」の草稿を書いて待っているから、――みたいな風にして置けば良かったのではないか。
 それはともかく、タキの話した「次の本の構想」が何だったのか、はっきり書かれていないが、どうやら、女中の経験に基づく、現代でも役に立つ「家事読本」の次には、女中をしていた過去の「回想」ということで、あったらしく思われる。そこで6月18日付(15)の後半に指摘したように、編集者は断片的な「回想」である、「なつかしい東京のお話」などの随筆を期待しているのだけれども、タキは「回想録」のようなものを主張して引っ込めない。それで、「持ちかけ」ては見たものの、「自分史」みたいなものなら「ジヒシュッパンの部署」と相談してくれ、ということになって、決裂してしまうのである。だからここの書き方では、――出版を前提に執筆したノートに働いていた一家の秘密を書いた、とんでもない元女中、という印象を強めることになりかねない。尤も私も、7月1日付(28)に述べたように、全てを公表するつもりでないにしても、書かれる側からすると書いて欲しくないようなことまで書いてるよな、と思っているのだけれども。
 ところで、タキの著作権を誰が継承したのか知らないが、第一章1、「このごろはなんでも粗製乱造で」すぐに絶版になってしまうから、出版から4年ほど経ってのタキ没後まで「家事読本」が重版(増刷)されたかどうかは分からないが「だいぶ売れた」というのだから増刷はされているはずで、タキの死亡は当然出版社にも連絡されたであろう。妙にプライドの高いタキの方から出版社に連絡を入れた形跡はないから、女性編集者はタキが決裂以後にかなりの分量の草稿をノートに書いていたことなど、知らなかったろう。従って、当然のことながら出版社からは「次の本」のための遺稿について、何の問合せもしなかったろう。――そんな問合せがあれば、最晩年に最も近くにいた健史に話があるはずで、健史ならそれが、自分が読んでいたタキのノートだと分かるはずなのだから。
 健史は6月30日付(27)の最後の方に指摘したように、最終章2、タキの没後「目を通さずに一年ほど」放置していたくらいで、内容に価値があるのかどうかも判断出来ていない様子だから、公表については7月2日付(29)に指摘したような事情が発生するまで、全く何ともしていない。タキのノートの、自分に読ませなくなって後に書いた部分(6月8日付(05)に引用した第七章10)に、このままの公表は憚る旨の意思表示があった訳だけれども、イタクラ・ショージ記念館に乗り込んだときには忘れていたようだ。イタクラ・ショージ記念館で最終的にノートの封印を決意する訳なので、そのときに歯止めとして働いた可能性はあるけれども。(以下続稿)