瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島京子『小さいおうち』(34)

Wikipediaの説明について(3)――主人公とヒロインの年齢(2)――
 昨日の続きで「登場人物」の節を確認して見る。
 書き換えた方が良さそうだということなら、全文添削してしまいたい誘惑に駆られるのだが、そうなるとお前がWikipediaの項目を書き直せと言われそうだけれども、その気持ちもないので、ある程度のところに止めておく。Wikipediaの記事は今後書き換えられたとしても「編集履歴」によって現時点の記述内容が分かるので、特に何とかしたい箇所以外は引用もしないで置く。
 布宮 タキの後半はタキの昭和5年の上京から帰郷までで、帰郷後と昭和20年・昭和21年の上京については触れていない。特に気になったのが「時子と板倉の淡い関係に感づいてしまい」という記述で、これは平井 時子のところにも「自宅に出入りしていた板倉に淡い恋心を抱き、密かに関係を持つ。」とあるのだが、「密かに関係を持」ったのに「淡い恋心」とか「淡い関係」というのは可笑しいだろう。
 平井 恭一については、記述内容がほぼ小児麻痺のことに限られている。

平井(ひらい)
時子の2番目の夫。時子より10歳年上。時子と結婚した年に、長年勤めたデパートを辞め、引き抜かれるようにして玩具会社に営業部長職で入った。後に常務へ昇進する。戦争により金属玩具の販売が規制され、新設したばかりの大工場の閉鎖や従業員の削減を余儀なくされ大打撃を受けるが、不撓不屈の精神で社長と共に乗り切り、紙製や木製の乗り物玩具で息を吹き返した。時子と連れ子の恭一との関係は円満であったが、夫妻の間に肉体関係はなかったとタキは推測している。


 問題があるのはまず年齢で、第一章8、単行本24頁13〜15行め・文庫版28頁2〜4行め*1

‥‥。なにしろ平井様は、奥様より十幾つも年上で、中年だし、背|も低くて眼鏡をか/けていて、頭の毛もどうかすると薄かった。旦那様のほうは初婚だと|いうことだったが、たしか/に女より仕事型の人物に見えた。

とあるのを「10歳年上」と決めてしまっている。これは、もう少し限定出来るので、第五章2、昭和16年(1941)の正月の件に、単行本155頁10〜12行め・文庫版169頁15〜17行め*2

 あの年、わたしが二十四歳で、奥様は三十二歳になられたはずだった。
 旦那様は、すでにもう、四十五、六になろうというお年だった。奥様はお若く、旦那|様は老け/顔だったので、下手をすると親子のように見えることがあった。‥‥

とある。昭和16年1月の時点での満年齢ではなく、数え年ならタキが二十五歳、時子が三十三歳だから、これはこの年に誕生日を迎えればタキが満24歳、時子が満32歳という計算なのである。どうもタキは平井の旦那様には思入れが薄いので明確な数字でないのだが、昭和16年(1941)の誕生日に満45歳か満46歳になるとして、明治29年(1896)か明治28年(1895)生、明治42年(1909)生の時子よりも13歳か14歳上ということになる。
 夫婦仲だが、第四章5、単行本129頁16行め〜130頁1行め・文庫版142頁4〜5行め*3

 その翌年あたりから、奥様と旦那様は、時々、喧嘩をなさるようになった。
 原因は、お金のことが多かった。奥様は、あまり貯金に熱心ではなかったが、旦那様は|‥‥

とあって、実は第四章4が板倉と時子の最初の接近を描いているので、布宮 タキ及び平井 時子のところに板倉との関係を書いている以上、やはりこちらもそれに対応させて「当初、夫婦仲は円満であったが、昭和15年(1940)頃からときどき喧嘩をするようになった」と書くべきだろう。「板倉との関係」が密になるのと反対に、ぎくしゃくし始めるのである。さらに踏み込んで、「板倉との関係に気付かないくらい、冷え込んでいた」とまで書いて良いのかどうか、は、迷うところだけれども。
 次に小説家の小中と時子の前夫・浅野と続く。少ししか登場しない浅野の方が倍の記述がある。(以下続稿)

*1:7月21日追記】文庫版の位置を追加し、引用中に文庫版の改行位置「|」を補った。

*2:7月21日追記】文庫版の位置を追加し、引用中に文庫版の改行位置「|」を補った。

*3:7月21日追記】文庫版の位置を追加し「単行本」が脱落していたのを補った。また、次の引用中に文庫版の改行位置「|」を補った。