瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

北杜夫『楡家の人びと』(07)

 昨日の続きで『北杜夫全集』の月報に連載された「創作余話」を見て置こう。
北杜夫全集4『楡家の人びと』一九七七年二月二五日発行・一九八三年八月三〇日三刷・定価一三〇〇円・新潮社・582頁・四六判上製本
 「北杜夫全集月報 6」(昭和52年2月・新潮社・8頁)はこの「第4巻付録」で大きさは18.0×12.2cm。2段組(1段23行、1行24字)で4頁上段14行めまでが本書について述べた「創作余話(6)」、ついで森茉莉北杜夫氏との出会ひとその人柄」が6頁上段まで、6頁下段からが秋山駿「インタヴューの印象」。
 図版は3頁上段の左側、本文は最初の3行だけで残りが「昭和28年 家族とともに/(左より 著者 妹 昌子 母 照子 兄 茂太 兄嫁 美智子 額内は父 茂吉の肖像 毎日グラフ掲載)」と下に左寄せでキャプションの附された写真と、7頁下段の下、10字分が「楡病院のモデル 青山病院帝国脳病院全景 (大正時代)」と下の中央にキャプションのある写真の2つ。
 分量からしても昨日取り上げた「「楡家」の裏側」よりも詳しいのだけれども、全てが「創作余話」に書いてあったというものでもない。詳しく比較しても面白いと思うが差当り昨日と同じ新聞に関する記述を眺めて置こう。2頁下段3〜18行め、

 大正七年から物語が始まるので、当時の新聞から調/べようとしたが、国会図書館にもなく、私は東大史料/編纂所へかなり通って大学ノートに必要なことをメモ/した。古典的な薬、美顔水などの広告が面白く、これ/は小説にかなりとりいれた。都新聞と朝日新聞を調べ/た。
 大正末期からの新聞は国会図書館にあり、私はこれ/またずいぶんと通って敗戦の年までのメモをとった。/現在のように簡単にゼロックスでコピーできぬ時代で/あったから、日数がかかった。当時、私は兄の家に居/候していたが、兄の車が空いているときはそれを借り/て国会図書館へ通った。時間ギリギリまでねばった。/あるときは受験生が自宅より静かな部屋で勉強するた/めに大勢行列していて、仲々はいれず、おれはもっと/大事なことのために来ているのだと思ってイライラし/たこともあった。


 「東京朝日新聞縮刷版」は大正期から刊行されているが、「都新聞」は当時はマイクロフィルム撮影もされていなかったろうから原紙閲覧で、「縮刷版」にあるような「記事索引」もないから、見て行くのはかなり骨が折れたことでしたろう。ただ、原紙の閲覧が困難になってしまった現在の私たちからすると、少し羨ましくも、あるのである。(以下続稿)