瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

織田作之助「續夫婦善哉」(5)

 それでは、本文について私が問題にしたい箇所の、まず完全版の翻刻を示して置こう。八二頁2行め〜八三頁3行め、

‥‥、いよいよ家を借り/るという段取の最中、大阪の金八から意外な手紙が来た。
 金八と蝶子は北新地時代に同じ抱主*1のもとでひとつ釜の飯を食った仲、蝶子が御蔵跡の公園/裏に二階借りしていた時分、思いがけず出会って何年か振りの口を利き、一緒に飯を食べたの/が縁で、サロン「蝶柳」の店をひらく金を出してくれ、その頃金八は鉱山師の妻で収って、び/っくりするほどの羽振りだった。ところが、金八の文面によれば、金八の亭主の鉱山師は「阿/呆の細工に」悪ブローカーに一杯くわされたとも知らず、幽霊鉱山に持ち金全部つぎこみ、無/一文になったどころか、借金さえ出来て、「いまでは、は(わ)びし(い)二階がりしていま/す」蝶子はまるで信じられなかったが、封筒の裏書きには△△方……とやはり二階借りらしい/住所があり、ほんまに女の一生テわからんもんやなあとしんみり読んで行くと、「ヤトナにな/るか、しゃ味線なりと教えて行こかと心(思)案してます。六つの貰い子も親もとへかえしま/した。大阪は今日もまたお天気がは(わ)るいです」と、悲しい文句ばかり書いてあった。し/かし、あの時貸した金を返してくれとは一行も書いてなく、それだけに蝶子は一層知らぬ顔は/できなかった。利子をつけて返せと当然要求してもよい筈だのに、しかもそうまで落ちぶれな/がらそのことに触れもしないとは、なんという出来たひとやろと、これまで返さずにいたこと/がいっそ恥しく、たとえほかから借りてでも送金しなければならぬと思った。


 ここが岩波文庫版では次のようになっている。78頁2行め〜79頁2行め、

‥‥、いよいよ家を借りるという段取の最中、大阪の/金八から意外な手紙が来た。
 金八と蝶子は北新地時代に同じ抱主のもとでひとつ釜の飯を食った仲、蝶子が御蔵跡*2/の公園裏に二階借りしていた時分、思いがけず出会って何年か振りの口を利き、一緒に*3/飯を食べたのが縁で、サロン「蝶柳」の店をひらく金を出してくれ、その頃金八は鉱山/師の妻で収って、びっくりするほどの羽振りだった。ところが、金八の文面によれば、/金八の亭主の鉱山師は「阿呆の細工に」悪ブローカーに一杯くわされたとも知らず、幽/霊鉱山に持ち金全部つぎこみ、無一文になったどころか、借金さえ出来て、「いまでは、/は(わ)びし(い)二階がりしています」蝶子はまるで信じられなかったが、封筒の裏書き/には△△方……とやはり二階借りらしい住所があり、ほんまに女の一生テわからんもん/やなあとしんみり読んで行くと、「ヤトナになろか、しゃ味線なりと教えて行こかと心/(思)案してます。六つの貰い子も親もとへかえしました。大阪は今日もまたお天気がは/(わ)るいです」と、悲しい文句ばかり書いてあった。しかし、あの時貸した金を返して/くれとは一行も書いてなく、それだけに蝶子はいっそう*4知らぬ顔はできなかった。利子/をつけて返せと当然要求してもよいはず*5だのに、しかもそうまで落ちぶれながらそのこ/とに触れもしないとは、なんという出来たひとやろと、これまで返さずにいたことがい/っそ恥しく、たとえほかから借りてでも送金しなければならぬと思った。


 異同は完全版「ヤトナになるか、‥‥教えて行こか」が岩波文庫版「ヤトナになろか、‥‥教えて行こか」となっていることで、原稿を参照するに後者が正しい。「る」と読めそうではあるがこの字は「なんといふ出来たひとやろと」の「ろ」と一致していて、この範囲に出ている「る」は、いづれもしっかり下部が「○」を描いており、この字とは異なっている。
 内容的にも韻律的にも「なるか/行こか」では可笑しいので、「なろか/行こか」の「ろか/こか」は四段活用動詞の未然形語尾「ら/か」に、意志の助動詞「う」(古典文法の助動詞「む(ん)」に由来)の連体形、そして疑問の終助詞「か」が、約ったものである。すなわち、歴史的仮名遣いでは文法通り「らうか/かうか」と表記するが「au」は発音すると長音「ō」となるから、発音は「ローカ/コーカ」である。その「ロー/コー」が約って「ロ/コ」となったもので、表記はされなくなってしまうがこの「ロ/コ」には助動詞「う」が含まれているのである。そもそもが「行こか戻ろか思案橋」を踏まえた言い回しと云うべきなのだから。――「續夫婦善哉」の原稿は、東京の早稲田大学卒業の近代文学研究者による、山本實彦旧蔵・川内まごころ文学館所蔵「改造」直筆原稿の調査で発見されたので、恐らく「解説」を書いている日高昭二(1945.5.15生)が翻刻も担当したのだと思われるが、この語感は上方に暮らした者でないと分らないのであろう。日高氏は茨城県出身で、特に織田作之助の研究者というのではない(らしい)。
 確かに「ろ」と書いてあるのを関東人の感覚では理解できずに無理に意味を通そうとして「る」と翻刻してしまった訳だ*6が、織田作之助の研究家は関西に幾人もいるだろうから校閲を乞えば良かった*7と思うのである。(以下続稿)

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 私が大学院生だった頃、早稲田の教員や院生というと(私の専攻では)やはり優秀な人が多い印象があった。けれども、私と同世代くらいから下になると、もちろん優秀な人もいるのであろうが、ちょっとどうかと思うような可笑しな人も目に付くようになって来たらしく思われる*8。調べ物で図書館や博物館を利用したこともあり、入れなかったことを少しは惜しいと思ったりもしたのだが、今や何とも思わない、というより、早稲田関係者でなくて良かったと思える*9。後はせめて、こんな大学の総長が座長を務めている教育再生実行会議が、これ以上可笑しな入試制度を拵えないよう祈るばかりである。

*1:ルビ「〔かかえぬし〕」。

*2:ルビ「しんち・かかえぬし・おくらあと」がある。原稿には存しないが「岩波文庫(緑帯)の表記について」の「(五)振り仮名は次のように使用する。/ (イ)読みにくい語、読み誤りやすい語には現代仮名づかいで振り仮名を付す。」に従ったもの。

*3:ルビ「ぶ」これも原稿にはない。

*4:原稿は「一層」。これは副詞で「岩波文庫(緑帯)の表記について」の「(三)漢字語のうち代名詞・副詞・接続詞など、使用頻度の高いものを一定の枠内で平仮名に改める。」に該当する。

*5:原稿は「筈」。これも「岩波文庫(緑帯)の表記について」の(三)項めによる書き換えであろう。

*6:そこまで考えずに一読「る」と読んで、違和感も覚えなかったのでそのままにしてしまっただけかも知れない。

*7:7月15日付で触れた国文学者は、かなり大部の校正刷を旧知の日本史学者や国語学者に送り付けて校閲させている。戦後には、旧知の人に紹介された面識のない日本史学者に校閲を乞うている。

*8:それが分からないのは、そういう人たちが業績を上げるようになるまでにこっちが熱心に研究しなくなったせいもある。当時は、学会に参加したら自分の研究に直接関係しない発表まで、全てをメモを取りながら聞いていたので、そういう比較も出来たのだが、久しくそんなところには行かないし、そういう係累もほぼなくなったので、付合いの必要上いろいろ見ないといけない、なんてことはいよいよなくなって、今や自分の興味のあるところしか見ない。そうなると、優れた業績はある程度の量を見ないと見極められないが、駄目な業績の調査不足・論証不足・誤植・奇妙な日本語・飛躍……等々は一端を目にすればすぐに分かるから、どうしても駄目な方ばかりが引っ掛かるようになってしまう。

*9:7月20日追記】今は詳しいことを書かなくても通じるかも知れないが、後々何のことか分からなくなる可能性があるので、説明して置くと――インチキ博士号問題で博士号を剥奪しなかったことと、問題の人物がAO入試合格者で、その、AO風の観点を取り入れていよいよ古典などの知識などないがしろにされそうな大学入試改革が国全体として行われそうになっていることを問題にしているのである。一連の問題については、外部よりも早稲田出身者こそ、もっと声を挙げるべきだろうにそれが余り聞えて来ないことにも、失望している。