瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島京子『小さいおうち』(40)

・引用の用字・仮名遣い(2)
 最終章はタキの妹の孫・健史の視点から書かれているが、登場人物の健史が書いたのではないことは、7月2日付(29)までくどくどと説明を試みた通りである。
 しかし引用の用字はタキのノートに準じているらしく、最終章4の冒頭、単行本290頁12〜13行め・文庫版310頁2〜3行め、

 僕は、大伯母が「思ひ出」と、ちまちました字で書いた紙を貼り付けて大事にしてい|た洋菓子/の空き缶の中から、小さいブリキのジープを見つけた。

と、やはり当人が書いた字の通りに示されている。
 この缶には他に「モノクロ写真が二枚」、「建ったばかりの家をバックに、平井家の人々と大伯母の四人が写っているもの」と「おそらく皇紀二千六百年祝賀記念に、銀座の写真館で撮った、平井一家の三人の写真」が入っていたというからいづれも平井家に纏わる「思ひ出」で、タキが歴史的仮名遣いでこう書いて缶に貼り付けたのは早ければ昭和21年(1946)、遅くとも昭和20年代、現代かなづかいが普及する以前という見当であろう。
 別に「戦時中にやりとりした葉書の類」もあって「差出人ごとにきっちりとゴムで束ねられ、しかもそれぞれが日付順に並んでいた」中に「一通、裏に「平井時子」とあるだけで、宛名のない手紙があ」り、これ「だけが未開封だった」こともあって、健史は時子の息子・平井恭一を探し出すことになるのである。
 しかし、いつ「束ね」たのか知らないが、ゴムだと劣化して切れたり紙に張り付いたりするから、麻紐か紙縒で束ねるべきだろう、と一応突っ込んで置く。全体として、こういうところの注意が行き届いていない印象を受ける。
 そして、最終章8、「差出人に返すのが正しい」と考え「ご遺族」の平井恭一を訪ねた健史は、盲目の平井氏に「いま、開いて、ここで読んでくれ」と促されてその通りにする。その辺りを抜いて置こう。単行本315頁17行め〜316頁4行め・文庫版337頁2〜7行め、字配りは仮に文庫版に従った*1

 僕は不器用に手紙を開いた。
 そこには、美しい女性の手跡があった。

明日、昼の一時にお訪ねくださいませ。どうしても、お会いしたく思います。
必ずお訪ねくださいませ。
 
板倉正治様                            平井時子


 読みながら、僕は経験したことのない混乱に襲われた。


 文面は単行本では楷書体、文庫版では明朝体で、黒の枠に囲われている。文面の次の1行は、単行本では何故か2字下げになっているが、文庫版は普通の段落の頭と同じ1字下げである。
 文庫版でこれを改めた理由は、特に後者の単行本で2字下げだった理由が良く分からないので何とも云いようがないが、枠に収めたのは手紙の文面であることを明確にするためで、前者はさらに書体を変えることでより明瞭にしていた訳である。楷書体にしたのは少しでも「美しい女性の手跡」らしい雰囲気を出すためであろう。
 だとすると、これはいけないのではないのか。
 初め「手跡」というからには毛筆なのだろう、と思った。7月15日付(38)で触れた国文学者の来簡を見ても、昭和19年(1944)までは毛筆で封筒・便箋なども戦前以来の美麗なものがまだ使用されているが、昭和20年(1945)になるとたちまち現代の安物並に下落し、それが戦後も継続する。文化の断絶が戦中戦後の物資不足と空襲、戦争関連の死亡、そして敢えて云わせてもらうなら“民主化”によって成し遂げられたことを実感する機会であった。
 それはともかく、毛筆ならば句読点は打たないから、やはり便箋にペン書きであろうか。しかし昭和18年(1943)秋の「奥様」の手紙を、現代仮名遣いにしてはいけないだろう。このようにそれらしく“引用”して見せている場合は尚更。
 ならば、どうあるべきかの案を考えてみよう。

明日、昼の一時に御訪ねくださいませ。どうしても、御会ひしたく思ひます。
必ず御訪ねくださいませ。
 
板倉正治様                            平井時子


 映画版にこの手紙が出てくるのであれば、まさか現代仮名遣いではないと思うが、どのように“再現”したであろうか。――「お」ではなく「御」にしたのは、当時「御」の字は多用されていたからで、律儀に「御」と書いたりせずに普通は崩して書いていた。もう少し、手を入れても良いが、取り敢えずこのくらいでないと“らしく”ない。
 もちろん、こうした毛筆書き(が生きていた、崩し字を普通に読み書き出来た時代)の文面を活字で伝えるのは難しい。句読点を打たなくて、ではどうやって文の切れ目が分かるのかというと、連綿(体)によって大抵は文節ごとに続けて、文節間は分ち書きのように離して書くから、崩しに慣れておれば読むのはさほど難しくはない。余り崩してあると健史如きでは読めないだろう。いや、健史はむしろ「達筆過ぎて読めません」と答えた方がリアルだったかも? それでも大体の内容は分かっただろうし。――それはそうと、平仮名ばかりの『源氏物語』や女流日記文学などを原文そのままに翻刻し(活字に置き換え)たのでは切れ目が分からなくてとても読めたものではないが、写本や版本ならば平仮名ばかりで句読点がなくとも読めるのである。
 こんなこと、目くじらを立てる程のことではない、と思う人もいるかも知れないが、この手紙は健史の謎解きが片付きそうになったところでひっくり返して見せる肝腎な小道具な訳だし*2、最終章の中でも、洋菓子の空き缶の「思ひ出」と処理が齟齬してしまうから、ここはやはり問題にせざるを得ないのである。(以下続稿)

*1:単行本は宛名と差出人の間に32字分の空白。

*2:但し作者の効率的に過ぎる伏線回収癖からして手紙の内容とタキの手許にこれが遺されている理由は、全く残念に思わないくらいに察しが付いてしまう。――この“どんでん返し”も予定調和に思えるのだ。