瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

遠藤周作『作家の日記』(3)

 この噴火目撃については「私の履歴書」以後にも語る機会があった。
遠藤周作・佐藤泰正『人生の同伴者』
 平成3年(1991)3月から6月にかけて行われた対談を纏めたもの。佐藤泰正(1917.11.26生)はカバー裏表紙の紹介文に、新潮文庫版には8〜10行め「‥‥。“近代文学/とキリスト教”に造詣の深い佐藤泰/正の真摯な問いに‥‥」とあり、講談社文芸文庫版には3〜4行め「‥‥。キリスト教文学研究の/泰斗・佐藤泰正を聞き手に、‥‥」とあり、カバー表紙折返しにも遠藤周作の紹介の下に、それぞれ紹介されている。
 なお、著者名は、単行本では明朝体太字で、カバー背表紙「遠藤周作●聞き手/佐藤泰正〉」、カバー表紙と扉は横組みで「遠藤周作●聞き手/佐藤泰正」●は○で囲われる。奥付には縦組みの明朝体とゴシック体で「著者©――遠藤周作佐藤泰正」とある。新潮文庫版はカバー背表紙「遠藤周作[聞き手]佐藤泰正」、カバー表紙は横組みで「遠藤周作〔聞き手〕佐藤泰正」、扉は横組みで「〈遠藤周作/佐藤泰正〉著」と上下に、奥付には縦組み「著  者  〈遠 藤 周 作/佐 藤 泰 正〉*1」と、遠藤氏が主で佐藤氏は従の関係になっているが、講談社文芸文庫版はカバー背表紙・中扉は「遠藤周作/佐藤泰正」が縦組みで対等に、カバー表紙と扉は横組みで「遠藤周作|佐藤泰正*2」と並べられ、奥付で1行に「遠藤周作/佐藤泰正*3」と上下関係(?)になっている。
・単行本(一九九一年十一月三十日第一刷発行・定価1748円・春秋社・267頁・四六判上製本
新潮文庫(平成七年四月一日発行・定価476円・269頁)
講談社文芸文庫(二〇〇六年七月一〇日第一刷発行・定価1300円・315頁)

人生の同伴者 (講談社文芸文庫)

人生の同伴者 (講談社文芸文庫)

 以下、引用に際しては改行箇所を、単行本「\」新潮文庫版「|」講談社文芸文庫版「\」で示した。
 単行本93〜165頁・新潮文庫版93〜162頁・講談社文芸文庫版87〜152頁「〈沼地〉の影と光*4」の、単行本95〜120頁・新潮文庫版95〜119頁・講談社文芸文庫版87〜111頁「留学体験」の章、2つめの節「彼我の〈距離〉がもたらす緊張感」に、単行本101頁12〜14行め・新潮文庫版101頁7〜10行め・講談社文芸文庫版93頁12〜14行め、

‥‥。/とくに朝鮮で戦争がはじまったのを、私はイタリアで真夜中に|知りましたから、大学\の研/究室に行ってフランス文学の勉強を継続的にやるという気を|失ってしまいまして、そ\の代/わり小説家としての勉強をやろうというふうな考えにだん|だん変わっていきました。\‥‥

と述べている。もちろんこれは誤りなので、朝鮮戦争勃発のニュースに接したのは8月13日付(1)でも確認したように、『作家の日記』を見る限りでは、7月1日の日中のことで、日記の記載の通りで良ければ、「朝四時」に着いたスエズを「七時には出帆」してスエズ運河を航行中の「午後四時」から「黄昏になる」前に「船のニュース」に接したので、その後「夜七時、ポートサイド着」となる。
 そうでなくてもこれでは説明不足で、せめて「フランスに向かう途中、イタリアで」とでもしていないと何故「イタリアで」なのかが分からない。
 尤も、この対談の中盤、単行本119〜130頁・新潮文庫版120〜137頁・講談社文芸文庫版112〜129頁7行め「帰国」の章、1つめの節「小説家への出発」に、この朝鮮戦争勃発のニュースに接したことが与えた影響について、改めて、今度は詳しく説明している。単行本124頁12行め〜125頁6行め・新潮文庫版123頁9行め〜124頁2行め・講談社文芸文庫版115頁9行め〜116頁1行め、

‥‥。で、/佐藤朔先生に留学してまいりますから帰りましたら研究室に残してくださ|い。キ\リスト教/文学というのも向こうでやってきたいとおもいます、そう言って行った|ので、船\のなかば/までは、できたら帰って先生にご報告して、もし可能ならば研究室に|残りたいと\いう気持/はたしかにありました。ところがさきほど申し上げたように、ちょ|うどイタリア\の先のと/ころで、夜、ストロンボリ火山が爆発するのをじっとひとりで見|ていたときに、\朝鮮戦争/がはじまったというニュースが船に入ってきて、そのニュース|を受けた船員がコ\ツコツ廊/下を歩いて私のそばへ寄ってきて、お前の国の近くでまた戦|争だというニュース\を渡して/くれました。それを見たときにほんとうになんというか、|いわゆる仏文を勉強す\る留学生/として、たとえばラシーヌが何年に生まれて、何年にこ|ういう作品を書いてとい\うような/ことを勉強するのが、非常に空*5しい気持になっちゃっ|たわけです。‥‥


 ここでは噴火した「火山島」を「ストロンボリ火山」と正しく特定している。遠藤氏がこの通り正しく発言したのか、刊行に際してチェックが入ったものか。とにかくここで「私の履歴書」の誤りが訂正された訳だが、これが平成5年(1993)3月に刊行された文春文庫版『落第坊主の履歴書』に生かされずに「ヴェスヴィアス」がそのままになって、遠藤氏の生前に修正の機会を逸してしまったのが残念である。
 とにかく場面としては昨日見た『落第坊主の履歴書』と同じであり、より劇的になっているように見える。すなわち、人生の選択に関わる場面に重ね合わされているので、『作家の日記』と対照するにこれが記憶違いであろうことは間違いないのだが、しかし、対談でここに突っ込んでしまうと遠藤氏の「小説家への出発点」が崩れてしまう。それで、敢えてそのままにしたのであろうけれども、それで良いのか、という気が、私などにはしてしまうのである。(以下続稿)

*1:ルビ「えんどうしゆうさく/さとうやすまさ」。

*2:カバー表紙には下に白抜きで、扉には上に「endō shūsakusatō yasumasa 」とある。

*3:ルビ「えんどうしゆうさく さとうやすまさ」。

*4:単行本のみ「PART 2」とある。

*5:新潮文庫版ルビ「むな」。