・単行本(5)分ち書き
8月12日付(4)に指摘したような、字詰めの都合で出来た空白を活用(?)した、植字工に拠るものと思われる分ち書きらしき箇所を列挙して置く。
句読点のところをやや広く取って調整している箇所も多いが、流石にそれは見分けづらかったので、分ち書きと併用されているところのみ、注意して置いた。
・39頁1〜2行め、
「帰ったら、 お父さんのことを、 なんて 言うたらええのやろ……。お母さんは見通しやけど/……」
・64頁8〜9行め、
そして、太吉郎は胸を しずめようとした。「こっちもかに しとくれやす。年を取って、これこ/そ、‥‥
・77頁4〜5行め、
「それがよろし」と、太吉郎は うなずいて、「今日はまた、なんで、秀男さんだけ おつれやし/たんどす」
・78頁6行め、
‥‥、「千重子、あの秀男さんと、あんなに よう話が でけたもんや。‥‥
・80頁2行め、
「千重子は、前から、絶対服従や 言うてるで」と、太吉郎は 千重子を見た。「なぁ、千重子」
・83頁2行め、
「ふん」と、千重子は少し言葉を切って、「あのな、平安神宮の 桜のあとで、周山の桜を見に/
・91頁16行め、
‥‥、たんと いただきました さかい、‥‥
・104頁12〜13行め、
「えっ? 調和どすか」と、千重子は 虚を突かれて、また帯をながめた。「調和て お言いやし/たかて、‥‥
・112頁7〜8行め、
御旅所にかけつらねた 献灯、 まいる人たちが前に供えた蠟燭で、 神前は明るかった。 しか/し、‥‥
・113頁2行め、
娘はうなずくと、涙がほおを流れ落ちた。はんかちを出して ぬぐいながら、「お嬢さん、ど/こでお生まれやした……」
ちなみに「はんかち」は114頁2・3行め(2箇所)、123頁13・15行め、124頁1行めにも見えている。
・119頁6行め、
「わたしも若僧で、 お父さんの 図案に、 よけいなこと 言いましたんやけど、 一晩寝んと考え/て、‥‥
・131頁1〜2行め、
母は客の 脱いだものをたたみ、こちらの 部屋へ来て、父の脱いだものをたたもうとするの/で、
・140頁5〜6行め、
「おこしやす。ほんまに、どない しといやしたん。おうわさは してましたんどっせ」と言っ/た。
・140頁12行め、ここは少々可笑しなところがある。
/をは ずませようと しない。芸者は客の気を引き立たせる ためにか、 出てから 二年の あいだ/
・161頁12行め、ここも詰まっていて良い。
‥‥、お母さんは、聞いてみよ思 てたのえ」
・165頁14〜15行め、
「尼さんも、まじってはるかも しれへんけど、目もとまらん ぐらいの早わざ で……。幻滅や/わ、ぬるいお茶どした」
・170頁11〜12行め、
/あわしまへんけど、来年、 千重子に、 萩の小紋を、 お父さんのために、考えさして みとくれ/やす」
・170頁15行め、
‥‥、父は娘を 見た。笑いに まぎらわせて、「お父さんは、‥‥
・172頁11〜12行め、
太吉郎は前に おとずれた時にも、 聞いたことだが、 今もうなずいた。 唐などの写しにして/も、
・197頁12〜13行め、
「そら、 えらい。 千重子さん、 ほんまにえらい」と、 竜助は 感にたえて、「千重子さんは、/やさしいお嬢さんやのに……」
・200頁8〜9行め、
なにを、 学生の若僧がと、 植村は思いながら、竜助に おさえられるのを、 どうにも ならな/い。
・207頁1〜3行め、
ずいぶん と思いきった、芸者の いたずらで あった。芸者に しても、とっさのことで、意味/はなかったのだろう。太吉郎は この若い 芸者が、きらいでは ない。きたないと は思わなかっ/た。
・210頁14〜15行め、
京都は十二月十三日の「事始め」もすみ、 ここの冬らしく、変りやすい 天気にはいって 来/た。‥‥
・212頁17行め〜213頁1行め、ここも不自然な分け方の例。
「そうどすか。寒い上に、しぐれるかもしれまへんさかい、 そのお 支度もして 来とくれやす/な。‥‥
・215頁16〜17行め、
「今日かて、 お父さんもお母さんも、 ごぞんじやさかい、 店へ来とくれやす 言うたんどす」/と、‥‥
・242頁8〜9行め、
そして「古觥」執筆期間のいろんなことの記憶は 多く失はれてゐて、不氣味な ほどであつ/た。「古觥」になにを書いたかもよくは おぼえてゐなくて、‥‥
これは「あとがき」で、単行本では本字歴史的仮名遣い、振仮名はない。ちなみに単行本では本文にも振仮名は滅多にない。
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見落しがあるかも知れないが、それは今後の記事にて気付き次第補い、ここに注記して置くこととする。(以下続稿)