瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

川端康成『古都』(08)

・表記の乱れなど
 本文は新字現代仮名遣いだが、部分的に本字が混ざっている。念のため、附近の新字になっている箇所を指摘して置く。
・16頁3行め「眞一」。前後の1行め・4行め「真一」。
・24頁15行め「‥‥强くした。」26頁13行め「強さ」。
 それから、片仮名で表記されるものを平仮名にしているのが目に付く。
・32頁7行め「‥‥、南方の貴いさらさをかあてんにしてかこった。‥‥」
・32頁8行め「千重子はこのかあてんを、/‥‥」
・32頁10行め「‥‥、そのかあてんの話をする。/‥‥」
・69頁2行め「‥‥、/円い鉄骨のがらす屋根の、かなり大きい温室が、つくられていた。三人はがらすごしに、‥‥」
・107頁10〜11行め「……。たとえば、小さい天窓にがらすをはめ、湯葉をつくる、おんどるまが/いの炉は、れんがづくりになっている。」
・69頁4行め「‥‥、大きいひまらや杉が、芽ぶいていた。‥‥」
・70頁3行め「 ひまらや杉の若芽の下枝が、‥‥」
 この他にも前回、113頁2行め他を指摘した「はんかち」も同様である。
 熟語の平仮名表記も気になる。
・29頁4〜5行め「‥‥。その小さい尼寺は古都のことで、ゆいしょは/あるのだが、‥‥」
・32頁6行めは

 太吉郎は机の下から座布団の下にひろげて、異国のゆいしょある、じゅうたんを敷いていた。/‥‥

と、句読点を半角にして随分窮屈に入っている。これなども最初「由緒」と組んであったのを校正で「ゆいしょ」に開いたために余裕がなくなったのではないか、そんな気がするのだが、どうだか分からない。
 次の例は乱れではないが、文庫版は振仮名を付すべきだろう。
・209頁16行め、

 しかし、「休機除外」の申出では、三十件あまりしかなかったという。


 この段落は、文庫版②210頁16行め・③231頁11行めともに「件」に振仮名「けん」があるのみであるが、「申出では」に「もうしい」の振仮名が必要である。
 見落としもあろう。今後の記事にて気付き次第に補い、それぞれ注記して置くことにする。
・地名
 戦後の地名の改変も影響を及ぼしていて、「祇園祭り」の章の128頁3行め、

 目をつぶると、中川村(町)の、きれいな杉山が見えて来た。


 京都府葛野郡中川村は昭和23年(1948)に京都市上京区編入されて中川東山・中川中山・中川西山・中川奥山・中川川登・中川西ノ谷・中川水谷、そして周山街道国道162号線)に沿う集落が中川北山町となり、昭和30年(1955)に上京区が分区して京都府北区中川北山町となっている。だから「中川(北山)町」と書くべきなのだけれども、実態としては「村」なのだから「中川村(町)」という書き方をしているのであろう。
 「秋深い姉妹」の章の冒頭、「鞍馬の火祭」について述べたところでも、194頁7〜9行め*1

「さいれや、さいりょう」と、となえながら、社にのぼる。炎はもえさかる。そして、二基の/御輿が出ると、村(今は町)の女たちがみな出で、御輿の綱をひく。終りに、大松明を献じ/て、祭はほぼ明け方までつづく。


 文庫版②195頁7〜9行め(改行位置「|」)文庫版③214頁7〜9行め(改行位置「\」)は次のようになっている。

「さいれや、さいりょう」と、となえながら、社にのぼる。炎はもえさかる。そして、\二基|の御輿が出ると、村(今は町)の女たちが総出で、御輿の綱をひく。終りに、大\松明を献じ|て、祭りはほぼ明け方までつづく。*2


 振仮名が加えられている他、「みな出で」が「総出で」に変えられている。
 この「出で」は、先程挙げた209頁16行めの「申出で」に注意したところだが、ダ行下二段活用の動詞「出づ」の連用形である。「申出で」は連用形の名詞化*3であり、「(みな)出で」は連用中止法である。
 ここが改められたのは、編集からチェックが入ったからなのであろう。この書き換えがいつ行われたのかは、今後注意して置くことにするが、「出づ」が「出る」に取って代わられる中で、編集者の中に「出づ」を受け付けない者が現れ、そのチェックに川端氏も従った結果なのであろう。
 「出づ」については、かつて桂米朝石像に「蘭学の泉ここに湧き出ず」と刻んだことに苦言を呈していたのを記憶している。――「出ず」では「ず」は打消の助動詞と解されるから「出」は口語のダ行下一段活用の未然形「で」、すなわち「出ず」では「出ない」という意味で「デズ」としか読めないので、「出る」という意味にするためには文語のダ行下二段活用の終止形の「出づ」すなわち「イズ」と読ませるような書き方をしないといけない、と云うのである。
 私はこの米朝師の意見に賛成であり、『古都』の本文も「申出で」を保存したのであれば、ここも「みな出で」のままで構わないのじゃないか、と思うのだけれども、もういけないのだろうか。
 地名と関係のないことで長くなったが、この祭は京都府京都市左京区鞍馬本町の由岐神社の例祭で、ここの「村(今は町)」は昭和24年(1949)に京都市左京区編入された京都府愛宕郡鞍馬村である。
・疑問箇所
 「松のみどり」の章、秀男が織り上がった帯を清滝川の川原で苗子に見せる場面、190頁7行め(文庫版②191頁10行め・文庫版③209頁12行め)、

 せまい谷あいの、西がわの山はだは、ほの暗くなりかかっていた。

というのは、分かるのだが、10行め、

 秀男は、谷の東の山のいただきの、真っ直にならぶ、杉の幹のすきに、金色の夕焼\けの色|を/見た。

というのは方角が違うのではないか。なお文庫版②191頁13行め(「|」で改行)・文庫版③209頁15行め(「\」で改行)では「真直ぐ」と改め振仮名「まつす」。(以下続稿)

*1:9月4日付追記】この続きを9月4日付(09)に引いた。

*2:ルビ「ほのお・みこし・つな・けん」。

*3:「申し出」の「出」は口語のダ行下一段活用「出る」の連用形の名詞化で、理屈は同じ。