瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

川端康成『古都』(11)

・時期(3)
 前回、昭和36年(1961)4月の京都府立植物園の再開、さらに同年7月の京都市北野線(堀川線)廃止を取り入れて、昭和35年(1960)の曲水宴を「去年」のこととしているのだから、作中の時間は昭和36年(1961)に違いないのだが、最初の章「春の花」では、昭和35年(1960)4月6日の醍醐寺五重塔落慶法要を、近日中のこととしていて、連載当初は、実は1年前の設定であったことを指摘した。
 「あとがき」に拠ると、川端氏は、242頁3〜4行め「‥‥。多年連用の眠り藥が、「古觥」/を書く前からいよいよはなはだしい濫用となつて、‥‥」、9〜11行め「私/は毎日「古都」を書き出す前にも、書いてゐるあひだにも、眠り藥を用ゐた。眠り藥に醉つて、/うつつないありさまで書いた」ので、9行め「‥。「古都」になにを書いたかもよくはおぼえてゐなくて、‥‥」13行め「私は讀みかへすのが不安で、校正刷りを見るのを延し」ていたが、15行め「校正にとりかかつ」てみると、15〜17行め「果たしてをかしいところ、辻褄の合はぬやうなところ/少くなかつた。校正でだいぶん直したが、行文のみだれ、調子の狂ひが、かへつてこの作品/の特色となつてゐると思へるものはそのまま殘した。校正は骨が折れた。‥‥」というのである*1
 もちろん作家本人が細かく見たのと同じくらい編集者も点検したであろうが、それでもこの「醍醐の塔の落慶式」なぞうっかり、見落としてしまったのだろうか。それとも気付いたけれども残したくて敢えてそのままにしたのだろうか。ちなみに昭和38年(1963)1月13日公開の中村登監督の松竹映画「古都」では、前回引いた「春の花」の章の千重子と真一の会話は、初めの千重子の台詞だけ(00:08:07〜17)になっていて「塔」については省略されている。昭和37年(1962)に撮影した映画では、既に作中の昭和36年(1961)であることを示す場面もそのままには出来ないので、これも前回触れた「秋の色」の章、135頁4行め「太吉郎が、京都駅の前から」市電北野線の「花電車に乗ろうとしている」ところを、136頁12行め「上七軒お茶屋のおかみ*2」に見咎められる場面も、00:49:04〜54「市バス」の「京都会館前」バス停(北野龍安寺行)に立っていた女将(浪花千栄子)に、「佐田はぁん」と声を掛けられることになっている。バスに乗る場面はない。(以下続稿)

*1:2019年2月21日追記】投稿当初「古都」の「都」を本字(1画多い)で入力して置いたところ、ダイアリーからブログへの移行に際して「古觥」と文字化けしてしまったので「古都」に改めた。

*2:ルビ「かみ」。