瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

吉行淳之介『秘蔵の本』(1)

 9月17日付「遠藤周作「幽霊見参記」(3)」に引いた遠藤氏の発言中に見える吉行淳之介(1924.4.13〜1994.7.26)の見解であるが、次の本に見えている。
光文社文庫『秘蔵の本 禁話のコレクション1990年5月20日初版1刷発行・定価388円・269頁
 光文社文庫版には先行する版について特に断っていない。269頁、著者による「あとがき」はこの文庫版刊行に際して書かれたもので、旧作を収録するのだという風に読める書きぶりにはなっている。そして、その旧版が同名の本、すなわち昭和43年(1968)2月1日初版のカワデベストセラーズ『秘蔵の本』*1であることは、内部徴証から見て間違いない。
 まず30頁2行め、

 先日、新宿二丁目の旧赤線を歩いてみると、昔のままの店がまえの前に、‥‥

と、凡そ平成らしからぬ書きぶりなのだ。なお、169頁8〜9行め、

 赤線が廃止されたのは昭和三十三年だが、その後もいろいろな形で女の子と仲/良くすることはできる。‥‥

というのも左程廃止から隔たらぬ時期の書きぶりだし、193頁3行めに注釈風に、

 因*2みに、赤線廃止は三十三年三月末日であった。

とあって、この辺りは小せん(四代目柳家小せん、1923.7.24〜2006.10.10)と円楽(五代目三遊亭圓楽、1932.12.29〜2009.10.29)とで、192頁9行め「先日」行われた対談の引用なのだが、193頁6行め、

円楽 わたしより下の、いまの二つ目、二十五、六の連中は女郎屋を知らない。/‥‥

との発言のなされた「先日」は、やはり赤線廃止から10年と隔たらぬ時期なのだとの見当を補強する。
 また、37頁4行め、

 十五年ほど前、私は結核になって、清瀬病院に入り、そこで一年間暮した。こ/の病院の病室は二十五人部屋で、いろんな人物が雑居している。

とある。吉行氏が清瀬病院に入院したのは昭和28年(1953)11月で、確かに15年ほど前である。ちなみにこの続きに、37頁10行め〜38頁1行め、

 たとえば、ボクシングのフライ級の世界タイトル・マッチが中継されることに/なって、白井かペレスか、というクジを病室の中でつくった。‥‥

とあるのは、昭和29年(1954)11月26日、後楽園球場特設リングで、パスカル・ペレス(Pascual Perez,1926.3.4〜1977.1.22)が白井義男(1923.11.23〜2003.12.26)の世界フライ級王座を奪った試合であるが、吉行氏は10月に退院しているので、クジを作るのに立ち会ったまでで、試合を清瀬病院で見た訳ではないようだ。
 166頁10〜11行め、

 二十五年ほど前、つまり私が高校生のとき、ときどき信州の湖へ出かけた。湖/畔の宿屋に泊まるのだが、‥‥


 「高校生」はもちろん旧制高等学校で、吉行氏は昭和17年(1942)4月に静岡高等学校文科丙類に入学、1年間の休学を挟んで昭和20年(1945)3月に卒業している。すなわち、丁度昭和43年(1968)から数えて「二十五年ほど前」になるのである。
 さらに、249頁11行め、

 つまり、いまから三十数年前の小学生は、おどろき方が素朴であった。‥‥

とあり、これまでに示されている年数に矛盾しない。
 とにかく、既に本になっているものを改めて出す際には、きちんと最初に出たときの情報を注記して置いてもらいたいのだ。そうでないと文中の時間が何時のことなのかの判断に迷わされ、資料として使う際に一々考証めいたことをしないといけなくなる。してもいいが、しなくて済むのならその方が手っ取り早い。それに、疑いがあるのに検討もせずに、本が出た段階での記述と短絡してしまう連中が少なくない。かくて混乱が広まることになってしまう。
 確認に長くなったが、次に、吉行氏が遠藤氏の体験をどのように解釈しているか、見て置こう。『秘蔵の本』の内容そのものについては、カワデベストセラーズ版と光文社文庫版を比較する機会があれば、述べることにする。(以下続稿)

*1:2019年7月31日追記】何故かカワデベストセラーズ版『秘蔵の本』を『禁話の本』と誤っていたのを訂正した。以下同じ。

*2:ルビ「ちな」。