瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

岸田衿子・岸田今日子『ふたりの山小屋だより』(3)

・文春文庫(3)
 本書245〜265頁「Ⅲ 座談会 故郷の大学村」は谷川俊太郎(1931.12.15生)・衿子・今日子。246頁1〜4行めに2字下げで次の前置き。

昭和の初めに、法政大学の文学部長をしていた野上豊一郎氏と、作家である夫人の/弥生子さんたちが教師や知人を集めてできた「法政大学村」――現在の「北軽井沢/大学村」。そこに岸田姉妹同様、父上が山荘を持ち、幼いころから遊び友達だった/谷川俊太郎氏をお迎えして、三人で大学村での思い出を語り合っていただいた。


 この座談会にて大学村の由来から、岸田家が山小屋を建てることになった事情とか、当時の交通事情などが語られています。

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 岸田今日子の昭和22年(1947)、自由学園高等科2年のときの「夏休みの日記」ですが、前置きの「十七歳だった」では、次のように説明されています。140頁2〜5行め、

 何年か前、古いスケッチブックの間から、こんな日記を見つけた。一日分/を一枚ずつ、藁半紙より少しましな和紙に、筆で書いて綴じてある。一つの/字の大きさは一センチ五ミリ四方は優にあって、早く紙を埋めてしまいたい/という意図が、ありありと見える。でも、字は今より上手だと娘は言う。


 142頁14行め「原文のまま載せることにした」とあって本文は歴史的仮名遣いなのですが、もちろんそのまま収録してはいないので、141頁の写真を見るに「學期末」や「地團太」など本字で書いているところは新字にしています。また「建て増した」の「増」の旁は「尊」になっており、また「設計」を「説計」と書いているのですが、これらは本人がどう書こうと思っていたかが明白な誤りですから、何の断りもなしに訂正してしまって構わないでしょう。それから促音は「つ」ではなく小さく「っ」と書いています。今月の記事にたびたび引用した同じ頃の新聞記事の表記もそうなのですが、ちょうど国語の表記が流動している時期に当たっていたのでした。(以下続稿)