瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

浅間山の昭和22年噴火(21)

・写真(2)
 10月22日付(14)にて、「朝日新聞」東京本社版昭和22年8月16日付記事に出ている写真と、国土交通省関東地方整備局の「〈第18期 砂防公開講座/第9回 防災住民講座〉合同講座」のチラシの写真とは、同じ人がほぼ同じ位置から撮ってはいるものの、若干の時差があって同じではない、との見当を示しました。
 そのときに、電柱の位置を根拠として、さらに噴煙の形も違っていることを指摘したのですが、電柱の方は根拠にならないのではないか、という気がして来ました。
 10月24日付(16)に紹介した「朝日新聞」大阪本社版昭和22年8月16日付記事に掲載される写真(3段抜き15行分)ですが、東京本社版同日付の写真(2段抜き10行分)はこれを縮小したもので、黒が濃くなっているのですが、こちらは東京本社版の写真で噴煙の黒くなっているところもはっきり出ています。
 その後、『朝日クロニクル20世紀』第4巻 1941−1950(2001年1月10日第1刷発行・定価9000円・朝日新聞社)を見ました。

 これは原則として1年1冊の次の「週刊20世紀」を纏めたものです。未見。 この表紙は合本には収録されていません。また、合本には通しの頁付がありません。
 1947-18〜29頁「CHRONICLE 1947」の1947-24〜25頁の見開きが「7-8月」で、24頁の中左に、大阪本社版と同じに見える写真が掲載され、その下にゴシック体縦組みで次のような説明があります。

浅間山 8月14日午後0時18分、長/野、群馬両県にまたがる浅間山が爆/発、溶岩で南西側の山腹は猛火に包/まれた。突然の爆発で、登山者、案/内人ら20余人が焼死した。1783/年(天明3年)の爆発では1803人/の死者が出た


 手前には、電柱2本と針葉樹が見えます。すなわち、噴煙の右に稜線より空に突き出た電柱、左に稜線の下に頂部に笠の付いた照明のある(らしき)電柱、さらに左に稜線から突き出た針葉樹があります。東京本社版の写真では左の電柱が判然としません。そして、国土交通省関東地方整備局のチラシに掲載されるものはやはり別物であることが確認出来ます。このチラシでは右の電柱が文字に隠れて、確認出来ないようです。
 ところで説明文は不正確で、時刻は10月2日付(03)に紹介した「朝日新聞」東京本社版昭和22年8月15日付記事に、それ以外はほぼ10月3日付(04)に紹介した「朝日新聞」東京本社版昭和22年8月16日付記事に拠っているようです。従って、10月4日付(05)に引いた「朝日新聞」東京本社版昭和22年8月19日付記事に「浅間山爆発の犠牲者十名」と纏めていたのを見落としています。(以下続稿)