瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

Agatha Christie “Murder on the Orient Express”(1)

 今月上旬、映画「オリエント急行殺人事件」を見た。
・映画
 1974年11月24日公開、日本公開昭和50年(1975)5月17日。

オリエント急行殺人事件 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

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・チラシ
・パンフレット
サウンドトラック
Murder on the Orient Express

Murder on the Orient Express

Ost: Murder on the Orient Expr

Ost: Murder on the Orient Expr

 正直、こんな手間のかかることするんかい、と思った。見終わっての気持ちは2012年11月13日付「松本清張「装飾評伝」(6)」で触れた『Dの複合』の読後感に似ている。いや、これに比べたら『Dの複合』なんて児戯に等しい、と思った。『Dの複合』のどこがいけないのかは、2012年9月14日付「松本清張「装飾評伝」(1)」に簡単に触れただけになっているが、やはりどこに無理があるのかはきちんと指摘して置こうと思った。
 これで良いのなら子守歌やら伝説やらを目くらましに利用した殺人事件くらい、幾らでも起こって良い理屈だ。
 それから、念のため三谷幸喜脚本のドラマを見てみた。
・TVドラマ(フジテレビ)
 平成27年(2015)1月11日・12日2夜連続放送。 舞台を日本に、時期は昭和初年、原作の時期を僅かにずらしていたが、今の役者にはもうかつての上流階級を演じることは出来ないのだと思った。しかしこの時期の喋り方なら、失われたりとは云え、相当数のトーキー映画が現存している。録音も少なくない。
 第1夜は録画せずに見たが、第2夜は録画して、まだ全部見ていない。
 録画しなかったので確認が出来ないが、やはり敬語の使い方が気になった。「召し上がる」ではなく「お食べになる」とか、確か「お目に掛かる」と言うべきところで「お会いになる」と言ったり、それから杏が「あたくしにお会いになりたいとか?」と言っていたが、こういう場合、敬語を使わずに言うべきではないのか。
 言い回しでは「声をあらげる」と言ったり、それから被害者への脅迫文に「汝剛力聖子を忘れるなかれ」と書いてあったのだが「なかれ」は形容詞「なし」の命令形で、ここに古語を使っているのは良いのだが、それなら下一段活用すなわち現代語「忘れる」ではなく、古語の下二段活用動詞「忘る*1」の連体形「忘るる*2」と書くべきだ*3。いや、踊り字を用いて「汝剛力聖子を忘るゝなかれ」とするべきだろう。……そうすると視聴者が読めないのか。しかしそれではつい100年前に我々の先祖の書いたものも読めないことになる。このくらいは教えて置くべきじゃないのか。*4
 昭和初年の雰囲気を出すのはコスチュームよりもむしろ言葉遣いの方が効果的なのではないか。初めからそのつもりはなかったのかも知れないが。(以下続稿)

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 そして「シベリア超特急」を思い出したのであった。

*1:「わする」。

*2:「わするる」。

*3:連体形であるのは、本来なら「忘るる(こと)なかれ」と体言「こと」があるべきところを省略して、その含みを連体形で表しているからである。

*4:1月24日追記】第2夜の録画を少しずつ見ている。通して見る気力がない。――そうしたら脅迫状は「汝剛力聖子を忘るるなかれ」だった。つくづく記憶は当てにならないと思った。やはり実物で確かめたのでなければ確かとは言えない。記憶に頼っている場合はその旨明記しないといけないと思った。かつ「忘るる」も12人が1字ずつ書くという趣向になっていたので、踊り字になっていなくても不自然ではない。以上、不明をお詫び申し上げ、この段落は消さずに色を薄くして置きます。