瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山岸凉子『日出処の天子』(06)

敏達天皇十二年(1)
 気になるのはやはり年齢である。以下、順に年代と年齢を確認して置こう。
・文庫版第一巻8頁1コマめ「敏達十二年(西暦五八三年)」これがこの物語の始まりの年である。
・文庫版第一巻11頁4コマめ、左側の四角い枠に丸ゴシック体で「蘇我毛人(蝦夷)/当年14歳/馬子の子/8人(同母・異母)の/第一長子」とある。数え年として西暦570年生である。
・文庫版第一巻12頁5コマめ、蘇我毛人の台詞「刀自古 おまえは今年で 12になるのだね」とあって、同母妹の刀自古郎女は数え年として西暦572年生である。
・文庫版第一巻15頁1コマめ、14頁7コマめで刀自古が持ち出した「厩戸王子」の話題に対する蘇我毛人の台詞に「まさか/王子はたしか まだ10歳の 子供ではないか」、3コマめにも同じく「賢いお方だとはよく聞くがね それは少し大げさなうわさだね/それにしても10歳の子供が父上に…」とあって、厩戸王子は数え年として西暦574年生、これは通説に従っている。
・文庫版第一巻39頁2〜7コマめ、馬に乗った蘇我馬子・毛人父子の会話に、

毛人:「大王には10ばかりの年の王子がおられますか?」
馬子:「10歳か11歳?えーと 亡くなった大后広姫との間の彦人王子…/今の大后との間には竹田王子と尾張王子の二人それと春日老女子との間に 難波王子 春日王子 大派王子の3人この中で彦人王子はおまえより年上だからのぞくとして/尾張王子と大派王子はまだ御幼少竹田王子と難波王子 春日王子がにたりよったりの年齢/たしか竹田王子の9歳が一番上のはず」
毛人:(9歳…か もう少し年上のような感じもしたが…)
馬子:「しかしなんのためにそのような事を?」

とあって、蘇我馬子によって敏達天皇の王子が列挙されるが「今の大后」すなわち後の推古天皇との間の長子竹田王子が数え年で九歳として西暦575年生である。
・文庫版第一巻66頁10コマめ、蘇我毛人の心内語(吹き出しなし、ゴシック体)に、厩戸王子について「ただが10歳のまだ子供ではないか」、67頁1コマめ「いや…/あれはとても10歳の子供とは思えぬ」とある。
 ついでに気になったところを指摘して置こう。
・文庫版第一巻18頁1コマめ、厩戸王子の初登場シーン、夜刀の池で泳ぐ姿だが、手前には蓮の葉や花が描写される。これを目撃した蘇我毛人の心内語、2〜3コマめ「やっぱり /女が泳いでいる!?いくら春でも泳ぐなんて正気の沙汰とは思えない」とあるのだが、蓮は晩夏(旧暦六月)の季語で、その頃に開花する。
・文庫版第一巻44頁7コマめ、右側に双郭の枠に「3月22日/鏡花祭」とある。すなわち夜刀の池のシーンはそれより前の出来事ということになる。
・文庫版第一巻67頁5コマめ、蘇我毛人の独り言に「ふう 7月ともなると朝から暑くてかなわんな」とある。旧暦七月は大体現在の8月に相当する見当なので「7月ともなると」には違和感がある。蓮が咲いているのはこの時期の方が相応しい。(以下続稿)