瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山岸凉子『日出処の天子』(09)

敏達天皇十四年(2)
 登場人物の年齢に関する記述を抜いて、確認する作業の続き。
・文庫版第一巻153〜160頁敏達天皇崩御後の後継者争いで、野心家の穴穂部王子は殯宮に出向いて、未亡人の額田部女王(後の推古天皇)を説得しようとする。155頁5〜6コマめの穴穂部王子の台詞に、

穴穂部王子:「あと3年もすれば彦人王子は成人するがあなたの竹田王子はいまだ11歳になったばかり/成人にはまだまだ」

とある。1月29日付(06)に抜いた文庫版第一巻39頁にあったように、2年前に「9歳」だったから勘定は合っている。しかしながら1月30日付(07)の後半に指摘したように、「11歳になったばかり」という表現が気になる。尤もここは、「いまだ」を冠しているから「まだ幼い」という文脈で取れば違和感はないけれども。――さて、穴穂部王子が次期大王の最有力候補、豊日大兄王子(後の用明天皇)ではなく自分を推すように要求するのは、豊日大兄王子が厩戸王子の父だからで、156頁5コマめ、

穴穂部王子:「こう言ってはなんだが/1つちがいでもあなたの竹田と厩戸では雲泥の左」


 だから自分を立てて「厩戸王子が大王になる可能性」を潰して竹田王子が大王になる可能性を高めて置くべきだ、と言うのである。それはともかく、厩戸王子が「1つ」年上すなわち数えで十二歳というのは勘定が合っている。
 この後、158〜159頁、穴穂部王子は額田部女王に欲情して襲い掛かり、160頁、敏達天皇の寵臣・三輪君逆に追い払われてしまう。これに女孺に化けた厩戸王子が絡んでいるのだが、この一件によって穴穂部王子は大王候補から脱落し、豊日大兄王子の即位が決まる。逆恨みした穴穂部王子は三輪君逆の誅殺を物部守屋の協力を得て実行するが、ここでも200〜201頁、女孺に化けた厩戸王子が嘘の逃亡路を教えて三輪君逆を殺させるのである。――『日本書紀』に拠るとこれは用明天皇元年(586)夏五月のことなのだが、この物語では前年の、用明天皇即位の前後のことにしている。すなわち175頁1〜2コマめに双辺の枠に丸ゴシック体で「五八五年九月豊日大兄王子 池辺の宮にて即位/橘豊日大王となる *1諡号用明天皇」とある。
・文庫版第一巻178頁1コマめ、175頁6コマめ〜178頁3コマめ、大嘗祭について打合せに来た蘇我馬子・毛人親子を前に、厩戸王子は父の大王がハラハラするのを余所に、鋭い問いを連発して大臣蘇我馬子をアタフタさせる。それを見ていて蘇我毛人は「ほんとにこれで12歳の少年なのだろうか/隣の大王より大人に見える」と思うのであるが、これは先程見た竹田王子の年齢差とも合っている。ここに穴穂部王子が入ってきて、178頁7コマめ「三輪君逆を討ちとうございます」と言い出す、という流れなのである。
 それはともかく、この物語は基本的な史実には忠実に、そうでないものは多少前後させて利用しているようである。尤もこの時代の人物は、生年が分からない人も多いし、生没年が分からない人も少なくない。それに第一、厩戸王子の没年月日にしてからが『日本書紀』は推古天皇二十九年(621)二月五日としているが、法隆寺釈迦如来像光背銘や天壽國曼荼羅繡帳銘では推古天皇三十年(622)二月二十二日となっているのである。多少のズレくらい、当然この物語では許さるべきことであろう*2。(以下続稿)

*1:ここに右寄せの「※」があり、コマの下に明朝体横組みで「※死後に贈られた名」とある。

*2:文庫版では、1月25日付(03)に引用したように「フィクション」と断っている。