瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山岸凉子『アラベスク』(04)

花とゆめCOMICS(1)
 私は漫画については、2011年8月25日付「山岸凉子『日出処の天子』(1)」に書いたように、このブログを始めるまで殆ど読んでいなかったので、震災前の平成23年(2011)2月下旬に、2011年2月21日付「図書館蔵書のカバー」から2011年2月27日付「上野顕太郎『帽子男』(5)」まで集中的に取り上げた上野顕太郎にしても、最初に『帽子男』シリーズを読んでから『夜は千の眼を持つ』シリーズに気付くまで、10年以上の空白がある。その間は、真面目に研究していたのである。が、その後、推薦入試なんかやってた日にゃ国文学研究は現在の規模を維持出来ない、とにかくそれやこれやについての現在の学界の指導層の対応には全く賛成出来ない、と思って、まぁ別に学界活動などしなくとも研究は出来るだろう、と思っていたのだけれども、研究するにはそういう人たちの書いたものを読まないといけない。それが、何とも億劫なのである。……この30年、学界が無策でいるうちに、いや愚策を採ってしまって、いよいよ古典などは遠いもの、一般人には縁のないものとなってしまった。研究したとて、その成果を読むかも知れないのは私が余り好感を抱いていない人たちで、しかも私の書いたものは先行研究の批判が中心なので余り評価されない(というか、仲間内の狭い世界だから、そういうネガティヴに見えるものは評価しづらい)。
 国文学界の何処が駄目だったのかは何時か詳しく書きたいと思いながら、片足をまだ突っ込んだままだったので書かないで来たが、その足も腐って来たようである。……かつ、いろいろな記憶も怪しくなって来た。
 この『アラベスク』も、読んでから時間が経過して少し怪しくなって来た。返却期限の延長をしようと思ったら昨日まで入っていなかった予約が入って、急遽、袋に本を抱えて出勤し、仕事の帰りに遠回りして返却したなんてこともあった。ならば買えば良いとも思うのだが、この年度末に職場から私物を持ち帰らないといけなくなったので、物を増やす決断が(今までだってしてなかったのに)出来ないのである。

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 それはともかく、昨日紹介した白峰氏の記述に倣って、単行本のうち花とゆめCOMICS版をHC版と略すことにします。このコミックスの体裁については2011年9月13日付「美内すずえ『ガラスの仮面』(08)」に簡単に述べたことがあるので、ここでもこれを下敷きにして記述して見ようと思うのですが、まずカバー裏表紙の、右上にある通し番号と、左下にある雑誌コードを示して置きましょう。
・第1部1 HC―5 雑誌43720―05
・第1部2 HC―6 雑誌43720―06
・第1部3 HC―7 雑誌43720―07
・第1部4 HC―8 雑誌43720―08
・第2部1 HC―1 雑誌43720―01
・第2部2 HC―12 雑誌43720―12
・第2部3 HC―31 雑誌43720―31
・第2部4 HC―35 雑誌43720―35
 番号が、巻数の順序を追っていません。これについては例えば、「花とゆめ」創刊時の編集長・小長井信昌(1930生)の回想が参考になります。
・小長井信昌『わたしの少女マンガ史 別マから花ゆめ、LaLaへ2011年8月15日発行・定価1600円・西田書店・262+索引鄽頁・四六判並製本

わたしの少女マンガ史―別マから花ゆめ、LaLaへ

わたしの少女マンガ史―別マから花ゆめ、LaLaへ

 81〜114頁「白泉社が生まれた」の章、87〜91頁1行め「『花とゆめ』創刊へ」の節に、88頁14行め〜89頁1行め、

‥‥。主な連載マンガは、「アラベスク」第二部山岸凉子、/「白ゆりの騎士」美内すずえ、「食べなきゃソン!!」こやのかずこであった。
 「アラベスク」は、『りぼん』にのった第一部の続編、第二部ということで、山岸凉子さん/に何とかお願いした。「白ゆりの騎士」は、‥‥

とあります。創刊号の表紙は87頁左下に「『花とゆめ』創刊号(1974年6月)」とのキャプションを附して白黒写真で、カバー表紙の左上に小さく、4頁あるカラー口絵(頁付なし)の2頁めに大きく、カラー写真が掲載されています。表紙では美内すずえの方が上に位置し、他に巴里夫山田ミネコの合計5人が創刊当初の連載作家でした。
 さて、「りぼん」に載ったのが「第1部」ということになったのは「第2部」の連載が始まってからなのですから、この書き方は厳密に云えば、正確ではありません。(以下続稿)