瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山岸凉子『アラベスク』(05)

花とゆめCOMICS(2)
 昨日の続き。
 初め「りぼん」に連載された『アラベスク』は、現在の第1部に当たる部分で完結して、単行本はりぼんマスコットコミックス(集英社)から刊行されていました。それを新たに集英社から雑誌出版社として分社し、昭和48年(1973)12月1日に創立された白泉社から、昭和49年(1974)5月に「花とゆめ」を創刊するに当たり、当初予定されていなかった第2部を連載することになったのです。この辺りの事情については、1月16日付「山岸凉子『妖精王の帰還』(2)」のブッキング版『妖精王の帰還「●初出一覧・コメント」のうち、103頁16〜22行めを抜いて置きましょう。全てゴシック体横組み、タイトルは大きく、以下の説明は小さく、括弧開きや句読点に続く二重鉤括弧開きは半角。算用数字は半角ではなく2/3字分ですが仮に半角で入力しました。

02. バレエ紹介 レ・シルフィード 三題カット
p.02-03 「花とゆめ」1974年9月特大号(『アラベスク』第2部・連載第4回) 121×420
◇瞑想にふけった詩人が夜の森に来て、踊っていた空気の精(レ・シルフィード)たちと一緒に踊り始める……。『アラベスク』第2部を連載した時に、見開きの下半/分で名作バレエを紹介するコーナーがあり、そこに寄せたカットです。私はそれまで自作の「続編」を描いたことがなかったのですが、お世話になっていた編集者か/ら「第2部」執筆の依頼が来て、そこで初めて『アラベスク』の登場人物たちの「その後」に思いをめぐらして、「あ、描ける」と思った、というのが執筆のきっかけ/です。二部構成の作品となりました。ちなみに『舞姫テレプシコーラ』が第一部完結・第二部開始と、いまのところ二部構成になっているのは、『アラベスク』を/意識したわけではなく、まったくの偶然です。


 この記載内容ですが、103頁7〜10行め、凡例に当たる部分2項目の1項めの最後の1行と2項めに次のようにあります。改行位置は原文に「/」が使用されているので「|」で示します。

 コメント:山岸凉子、初出調査・執筆:白峰彩子、斎藤宣彦
◆記載は以下のとおりです。
 作品(画稿)通し番号/作者によるイラストレーションのタイトル/本書でのページ数/初出誌/サイズ:縦×横(ボードに描いて| いる場合「ボード」と記載)/作者コメント


 そして「花とゆめ」連載作品からコミックスが刊行されることになります。前回引いた小長井信昌『わたしの少女マンガ史』132〜172頁「『花とゆめ』『LaLa』から生まれたもの」の章の、132頁2行め〜141頁10行め「白泉社コミックスなど」の節から、関連する箇所を抜いて置きましょう。134頁5行め〜135頁1行め、

 コミックスは75年3月山岸凉子アラベスク第二部」第1巻、こやのかずこ「食べなきゃ/ソン!!」第1巻の2点を「花とゆめコミックス」(HC)シリーズとして創刊した。第1回/はこの2点であったが、次第に点数も部数も増えていき、後には初版百万部くらいのベスト/セラーも出た。
 この白泉社の「花とゆめコミックス」のカバーデザインは、上部に赤、青、白のトリコロ/ールカラーの線と、金赤のタイトル文字、ワクに縁どられたイラストという形式は創刊以来、/現在まで30数年まったく変らない。これによって、白泉社の「花とゆめコミックス」という/ことが一目でわかる。こういう新書とか、文庫のようなシリーズものはいかに書店の棚を確/保するかが勝負であり、鉄則である。書店に来た顧客は、このスタイルで「花とゆめコミッ/クス」と一目でわかるのである。だから、後、『LaLa』掲載のマンガをコミックスにす/る時も同じデザインで「花とゆめコミックス」として同じ、白泉社の本であるという印象に/した。


 確かに『日出処の天子』は「LaLa」連載ですが単行本は1月24日付「山岸凉子『日出処の天子』(02)」に書影を示したように「花とゆめコミックス」なのです。
 それはともかく「HC―1」としてまず『アラベスク』第2部第1巻が刊行され、翌月にも2点、そして翌々月に集英社の「りぼんマスコットコミックス」の『アラベスク』第1巻から第4巻の4冊を「第1部第1(〜4)巻」として一挙に移籍刊行したので、「HC―5(〜8)」と連番でかつ、第2部第1巻よりも番号が後ろになっているのです。(以下続稿)