瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

遠藤周作『ぐうたら生活入門』(4)

・ハルキ文庫『ぐうたら人生入門』(2)
 2月12日付(1)に引いた、奥付の前(209頁「あとがき」の裏)に記載されていたように、角川文庫2851に拠っている。
 角川文庫版195頁と「あとがき」を比較するに、角川文庫版2〜3行め「‥‥、『ぐうたら生活入/門』というこの本を‥‥」がハルキ文庫版では「‥‥、『ぐう/たら人生入門』というこの本を‥‥」と書き換えられている。
 1頁(頁付なし)扉、3〜5頁(頁付なし)「目次」、7頁(頁付なし)中扉で明朝体太字縦組みで標題、9頁から本文で、208頁まで。奥付の裏から5頁、ハルキ文庫の1頁1点の紹介。
 異同であるが、巻頭の北杜夫「狐狸庵山人」は収録されていない。角川文庫版に拠っているので、新書判では省かれていた著者「あとがき」は存する。
 「目次」を比較するに、角川文庫版は全て明朝体で5頁1行め、1字下げで一回り大きく「目 次」、2行めも1字下げで「狐狸庵山人」、下寄せで「北  杜 夫 三」頁数は半角、それぞれ3行取り、続いて6篇、6頁に12篇、7頁に9篇と1行分空けて1字下げ「あとがき」下部に「一九五」。新書判は「目 次」の扉があって裏の1行め、1字下げで「狐狸庵山人    北 杜夫」とあって、1行分空けて13篇、次の頁に14篇を載せる。下部に半角漢数字で頁を入れるのは同じだが、角川文庫版では一回り小さい副題を1字分空けて添えていたのを、新書判では頁数の上を3字分空けて、下揃えにして一回り小さい教科書体で入れ、明朝体の題との間に縦線を引いている。ハルキ文庫版は1行めゴシック体1字下げで「目次」、半行分空けて9篇、秀英初号明朝で1字分空けて同じ字体で一回り小さい副題、下部に算用数字で小さく頁を示す。次の頁に10篇、その次に7篇と半行分空けて1字下げで秀英明朝で「あとがき」下部に「209」。
 さて、収録される篇数を比較するに、新書判は角川文庫版と同じく27篇を収めるがハルキ文庫版は26篇に減っている。これが奥付の前に記載のあった「一部割愛」なのだが、まずは「目次」の比較から確認して見よう。
・2篇め「語るにたる“気の弱い奴” よく、その心情、理解できる人たち」の題をハルキ文庫版では「語るに足る“気の弱い奴”」と漢字にしている。
・8篇め「女の執念 女優さんもキチガイ女も同じ」が、新書判では副題が「女優さんもイカレ女も同じ」と改められている。ハルキ文庫版はこれを収録していない。
 今でも「気違い」はいけないが「イカレる」は構わないらしい。従って、ハルキ文庫版を制作するに当たって、角川文庫版だけでなく「キチガイ女」を「イカレ女」と著者生前に改めている新書判*1も参照しておれば、割愛せずに済んだかも知れない。
・10篇め「鼻もちならぬ洋行自慢 駆け足旅行で廻ったくせに」を、ハルキ文庫版9篇めは「鼻持ちならぬ洋行自慢 駆け足旅行でまわったくせに」と改めている。
・25篇め「当たった二十年前の予言 いまだにわからぬそのカラク」の副題が、ハルキ文庫版24篇めでは「未だにわからぬそのカラクリ」となっている。(以下続稿)

*1:目次以外の書き換え箇所を挙げて見るに、角川文庫版63頁2行め・69頁4・8行め「キチガイ女」→新書判61頁2行め・67頁5・9行め「イカレ女」、角川文庫版69頁3行め「キチガイ」→新書判67頁4行め「オカシイ女」、角川文庫版69頁5行め「キチガイ」→新書判67頁6行め「イカレ女」となっており、機械的な置き換えではない。著者本人に拠る修正である可能性が高い。先行する版は、一応全部確認して置かないといけないのである。