瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山岸凉子『日出処の天子』(22)

・連載当時の熱狂(2)
 そんな訳で、連載当時の証言を漁って見たいと思っていたところ、先月、某区立図書館で次の雑誌を見付けました。
・「ユリイカ 詩と批評総特集 少女マンガ(七月臨時増刊号 第十三巻第九号)一九八一年七月一〇日発行・定価780円・青土社・182頁
 背表紙には「EUREKA 1981.VOL.13-9」とあります。
 この特集では総論的な文章や吉本隆明萩尾望都の対談の他に、特に11人の作者が取り上げられて論じられています。
 4〜5頁(頁付なし)の「目次」を見るに、本文とは配列が違っています。
 目次(5頁)には吉田秋生山岸凉子池田理代子倉多江美やまだ紫萩尾望都大島弓子竹宮恵子青池保子高野文子樹村みのりの順に並んでいますが、本文では吉田秋生山岸凉子やまだ紫倉多江美青池保子池田理代子萩尾望都大島弓子竹宮恵子樹村みのり高野文子の順になっています。目次の配列が乱れていることになるのですが、何か法則(?)でもあるのでしょうか。
 さて、50〜61頁、飯田耕一郎山岸凉子 無限なるものへ」は、50頁4〜5行め、

 並ぶ漢字の多さ――少女を相手の雑誌による連載としては、これはひとつの難関だったかも/しれない。

と書き出され、しばらくその「漢字」の「仮名*1読み」の「味」について触れ、13〜15行め、

 或いは読者の方も、この作品が現在充分な人気を博しているのをみるに――むろん厩戸王子/の妖艶なる魅力を軸として、いかようにも読ませる要素に長けた作品であることはわかってい/るが――一面では、そのような仮名読みの妙味を楽しんでいるのかもしれない。*2

と一旦締めて、続いて51頁1行めから本題に入ります。少し長めに引用して見ましょう。

 それにしてもだ。こんなにも野心的な作品が受け入れられたことは素晴しい。いや、今とな/ってはこんな言い方をしては叱られるかもしれない。そういうことは既に当然のこととして、/この連載はあるのだ。しかし、連載開始当時のあの周囲の驚嘆、驚いたのは決して僕だけでは/ない。
 そもそも『天人唐草』より始まって、『バンシー』『スピンクス』そして『メデュウサ』と、/たてつづけに衝撃的な読切り作品で我々を打ちのめし、しかし、ではこの先どうなるのだと、/幾らなんでも多分ここらで一息つくのではないのかと、そんなふうに思っていたところでの連/載開始、しかもそれが予想もつかない内容をひっさげての登場とくれば、驚かない方が悪い。/が、それだけに一般の支持を得るかどうかについてはまったくわからなかった。これは仕様が/ない。それがいかに文句のない素晴しい作品であっても、だからといって人気が出るとは限ら/ないのだから。ましてやこの作品が、編集サイドで待ったをかけられ、連載開始が半年遅れた/なんて話を聞いては尚更である。けれど――結果は見事に、この通りだ。


 12行めまで引いてみました。
 この時点では3月19日付(18)で取り上げた花とゆめCOMICS第3巻までしか刊行されておらず、後に第4巻にまとめられる辺りが連載されていたところでした。(以下続稿)

*1:ルビ「かな」。

*2:ルビ「た・かな」。