瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

深夜の呻き声(3)

 前置きで長くなって全く呻き声に至っていませんでしたが、『怪談の科学 PART2』の「四章 現代の怪談を解く」の「4 ポルター・ガイスト」の節の最後、「“ポルター・ガイスト秘話”」の続きを抜いて置きましょう。181頁14行め〜182頁8行め、

 そのようなある日の深夜、母は家の表で「オウ、オウ……」という、さも苦し気な男の呻き声/を聞いたのである。母ははじめ、まだ夫の招集を知らぬ患者が来たのかと思い、飛び起きて、表/へ出ると、誰もいない……。
 そんなことが幾夜も続いたので、たまりかねた母は、その家を斡旋してくれた村の世話人に相/談してみた。*1
 日露戦争に出征したのが自慢のその古老は、母の話をじっくり聞いた末に、「そんなことは、/おこるかもしれん……」とポッツリつぶやいたそうだ。
 私たち一家は知らなかったのだが、その農家の主人は日中戦争で戦死したので、その空屋が提/供されたのであった。しかも、その最後の様子は腹部に銃剣を受けて、苦しみもだえながら死ん/だそうである。


 丁度40年前の「日露戦争に出征した」というので当時60代以上の「古老」です。昨日引いた『怪談の心理学』に登場する「村の古老」も同一人物でしょう。
 これについて、中村氏は最後に次のようなコメントを付けています。182頁9〜12行め、

 無念の戦死をとげた彼の霊魂は家族にそれを報告にきて、自分の家が見知らぬ他人に占領され/ているのに抗議したかったのであろうか。
 しかし、母は気丈な人だったから、この話を自分の胸にしまい、長男の私にも話さなかったの/で、わが家に“ポルター・ガイスト騒動”はおこらなかったのである。


 コメントの1段め、「農家の主人」の「戦死」で「空屋」になったのは、残された「家族」が農家の仕事を継続しづらくなって退去したのか、それとも出征時には「家族」がいなかったのか、これだけでは分かりません。それはともかく、そもそも「日中戦争」というのが「大東亜戦争」よりも前の時期を指しているのだとすれば(支那事変と書く訳に行かぬので)、本土空襲が激しくなろうという時期になって「家族」に「報告」に来るというのは時間差があり過ぎましょう。読点より後は普通の(?)解釈になっていますけど。
 そして2段めは、181頁5行めの「他人の事例をあれこれ述べてきた」とあった、「4 ポルター・ガイスト」の節のここまでの部分を踏まえた表現です。賢夫人の母が騒ぎ立てなかったので「騒動」にならなかった、というのですが、仮にそうだとしても時局柄「騒動」には成り得なかったのではないでしょうか。(以下続稿)

*1:ルビ「あつせん」。