瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

ブログ名について

 山岸凉子の漫画本の書誌について書いているうちに閲覧数が落ち着いて来た先月の下旬、急に閲覧数が増えたのです。リンク元が増えた訳ではないようです。当ブログが検索候補の上位に来ることはあまりないので(来ているとすればそれはあまり検索されない語だから上位に来ているので)何があったのかと思って調べて見ると、どうも、――「瑣事」で検索して、上位に来ているので覗いて見た、という人が増えたようです。
 なんで当ブログが検索候補の上位に来てしまうくらいマイナーな「瑣事」なる言葉を検索する人が急に増えたのかというと、先月から「朝日新聞」1面で鷲田清一「折々のことば」という、昔の大岡信折々のうた」みたいな連載が始まっていて、先月25日の第25回に芥川龍之介侏儒の言葉」の「瑣事」の一部が取り上げられていたのでした。私は鷲田氏が苦手というか嫌いで、なんで鷲田氏の明快でない、文章の途中で論理が捩れたり語の定義がずれて来るような文章を高校教科書が好んで載せているのかと訝しんでいます。大学入試にも出題されているようで、ブランドのようになっているのでしょうか。今、やたらと実施されているAO入試や推薦入試では「小論文」なる短くて論旨明瞭な文章を書かせようとしていますが、そうであれば鷲田氏の文章など全く参考にならないでしょう。こういうちぐはぐなことをやっているうちに、どんどん国語力が低下していくような気がして、歯がゆくてならないのです。とは言え、以前も書きましたが私はAO入試や推薦入試には反対です。実技系の勉強は大学ではなく専門学校が担えば良いので、大学と名乗るからにはそれなりに幅と奥行きのある教養を身に付けた学生を選抜するべきでしょう*1。そうしていないのに(高校生にそういう勉強を課さずに入学させているのに)新入生が馬鹿だから大学で補習をしないといけない、と、さも被害者のように大学関係者がぼやいていたのは何の冗談なんだか(それとも今は悔い改めたでしょうか)。そんな学生を入れたくないなら「選抜」するのは大学なのだから入れなきゃ良いだけの話でしょう。AO入試や推薦入試は、以前のようにごく少数の特異な才能・実績を持つ高校生に限るべきで、そこらへんの高校生に「やる気あります!」などの決意表明させるだけで(勉強させずに)入れて置いて期待外れだなんて、……実は貴方たちは分かってて言ってるでしょう? 本当にタチの悪い冗談です。
 AO入試や推薦入試を特異な例外を除いて廃止してしまえば、何のために勉強するのか分からない、などという小賢しい高校生たちの哀れな悩みも解消されて、私も古典研究に見切りを付けられずに未だに業界を浮遊していたかも知れません。――まぁ後者はどうだか分かりませんが、とにかく現状では国語特に古典の知識を身に付ける必要なぞ感じられないのが当然です。生徒が勉強しないのではなくて、大学が勉強させないのです。それを人のせいにするな。
 一箇所だけ止めるのが怖いのなら、全部止めたら良い。大学の数や定員も*2減らせば良い。
 ところが、新聞社は大学教授からコメントをもらったり、記者の天下り先になったりしているので、この悪い冗談に乗っかったような、AO入試や推薦入試を擁護するような記事をよく載せます。最近の、小保方事件の素地となった大学の総長が、同じ大学出身の文科大臣と結託して、そういう入試を既定路線にしようと動いている図はまるで悪夢のようでした。御両所とも出処進退という言葉を御存知ないらしい。

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 どうも妙なことを書き過ぎました。……人のことを批判して置いて、お前の文章も全く明瞭でなく、そもそもタイトルの内容になっていないではないか、と言われそうですが、別に教科書に載っている訳でも入試問題になっている訳でもないので問題になりません。いえ、問題にされませんし、したところでどうもしません。――「瑣事加減」というのはそういう好い加減な、自虐的というか自嘲的な題なのです。……謙遜というべきでしょうか。
 初めブログを開設するときに、それまで他のブログにコメントを書き込む際に用いていたハンドルネームをID登録しようとしたところ、既に使用済みで別の候補を考えないといけなくなりました*3。そこで毎日「瑣事」を取り上げるのと「匙加減」を掛けて、「匙」を「瑣事」に取りなすのと同様に「加減」も「下限」にして、これ以下はないくらいの「瑣事」を取り扱うブログ、というつもりだったのですが、流石にそれは取り上げる事物に対して失敬だと思って「瑣事加減」としてみたのでした。そしてIDは瑣事を扱うブログに相応しく瑣末亭という噺家みたいな亭号を考えてみたのです。

*1:必ずしも教養を必要としない実技系の人は、教養とは別箇に己の技量を高めることに集注して、それを堂々と誤りなく発揮しておれば良いのです。大卒という名目などなくとも良いし、それで待遇の差が付くようであってはいけない世界でしょう。――本当に、あんな入試で「大学」に入った連中が、種々の理由で短大や専門学校に入った生徒よりも優遇されることがもしあるとすれば、全く理不尽です。……ないと信じたい。

*2:ついでに教員も。

*3:他のブログサービスを幾つか見ましたが使用済みでした。