瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

楳図かずお『ミイラ先生』(07)

 6月3日付(06)の続き。比較の要領は5月9日付(03)に示しました。
・文庫版146頁(複写)扉絵
 連載第5回の扉絵で、以後の版には使用されていない。
・文庫版147頁1コマめ=単行本69頁1コマめ
 文庫版145頁(複写)7コマめとほぼ同じ。この頁は文庫版と単行本で完全に一致する。
・文庫版147頁2〜5コマめ=完全復刻版63頁7〜10コマめ=単行本69頁2〜5コマめ
 頁の下半分は完全復刻版とも一致。台詞は完全復刻版は全てゴシック体、若干の異同。すなわち、9コマめの葉山先生(実はミイラ)の台詞「みっ水をううっ水をはやくちょうだい 」が、文庫版=単行本4コマめ「み 水を/ううっ水をはやくちょうだい!」となっており、10コマめの葉山先生(実はミイラ)と絵美子の会話は「はやくはやくっ絵美子さん水をもってきてっ 」「せ、せんせい」が、文庫版=単行本5コマめ「はやくはやく絵美子さん水をもってきてっ!」「せ…せんせい」となっている。
・文庫版148〜158頁=完全復刻版64〜74頁=単行本70〜80頁
 文庫版と単行本は完全に一致する。完全復刻版は漢字の使用、読点及び「?」の使用や、「…」或いは「〜」の量、「!」が斜めになっていることなど、これまでにも断片的に指摘したのと同じような異同がちょいちょいあって、目立つのは72頁7コマめの絵美子の台詞「わたしが正子さんにたのまなければあんなことにはならなかったのだわ」が、文庫版156頁=単行本78頁では「わたしが正子さんにたのまなければこんなことにはならなかったのに……」となっていることくらいである。この「正子さん」は聖白バラ女学院では唯一の、ミイラによる犠牲者で、その最期は文庫版149〜153頁=完全復刻版65〜69頁=単行本71〜75頁に描かれているが、文庫版141頁(=完全復刻版59頁=単行本64頁)1・3コマめに登場する「足立さち子さん」に似ている。同一人物のつもりで(名前を間違えたので)はないかと思われるのだが、どうだろうか。
 ところで、完全復刻版に挟み込まれているB6判(8頁)折本「ミイラ先生読本」5〜8頁、菊地秀行「おもいでコワイ」の最後に、完全復刻版68頁1コマめの葉山先生(実はミイラ)の台詞、いや、この場面ではミイラそのものなのだけれども、その台詞を問題にした記述がある。8〜15行め、

 最後にひとつだけ、残念――と思ったところを挙げておく。
 物語の前半で、水が切れて苦しむミイラに、少女が水筒を渡そうとしてつんのめり、空にしてしまう/シーン。本編では、水筒を口にして、
 「かっ、から……」
 と呻いて、すぐ凄まじい形相をさらして迫るのだが、もとの版では、口にした水筒を戻してから、
 「から、ね」
 とひとこと静かにつぶやく場面があり、それが私を心底恐怖させた覚えがある。今でも、あのシーン/の恐怖の真骨頂はそのカットにあると信じているだけに、少々残念である。


 ちなみに単行本74頁1コマめは「かっから」で絵は同じ、文庫版152頁1コマめも一致する。これは菊地氏の記憶違いなのであろうか。完全復刻版は初の単行本の復刻だから「もとの版」というと初出誌しか該当するものがないのだけれども、――文庫版が、絵が粗くなってしまう初出誌からの複写でなく原稿(或いは紙質の良い単行本等)から製版しているのは良いのだけれども、やはり文字はオリジナル通りに再現して欲しいのである。どうも、「少女フレンド‥‥オリジナル版」と称しながらそうなっていないらしいので、この「オリジナル版」を根拠にこれを記憶違いに基づく言い掛かり、と断ずること*1は、出来ないのである。
・文庫版159頁(複写)=完全復刻版75頁=単行本81頁
 1コマめの絵美子の台詞「あっ」が、完全復刻版はゴシック体、単行本は明朝体になっている他は4コマめの絵美子の叫びがゴシック体で大きく「きやあーっ」となっているのも一致する。文庫版はこれらの台詞は明朝体で「きゃあ〜〜っ」の「〜〜」は2字分の波線。(以下続稿)

*1:もし文庫版が「オリジナル」に違いないとすれば、言い方は悪いがそういうことになる。