瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

学会誌の訃報欄(2)

 もう10年近く会っていないと思うのだけれども、その、既に発病して後と思われる頃に、1度だけ電話がありました。今はネットや携帯電話での通信が主流なので、携帯電話もメールも使用しないでいると、ほぼ存在しないような按配で暮らせます。私も誰からも連絡がなくなって、殆ど学界のことなど忘れて生活しているのですが、ある日、その先輩B氏から電話が掛かってきたのです。何事かと思ったら「君の博論を読みました」と言うのです。それで別に評価のような話はしないのです。私の博士論文は、結構評判が良かったので、挨拶にしてもそういう話抜きなのかい、と思ったものでした。
 しかしながら、確かに褒められたような代物ではないのです。――提出した大学院では酷い目にあって、中途ですっかり意欲を奪われてしまい、そのまま退学しても構わないとも思ったのだけれどもそれでは決して安くはなかった学費をドブに捨てるようなことになってしまうと思い直して、出来るだけ大学院の関係者に会わないようにして、当時やっていた仕事の持ち帰り分が終わった後の真夜中に睡眠時間を削って3ヶ月、なんとかそれまでに調べて置いた中からまとまりそうなものを取り出して恰好を付けたといった代物でした。こっちは安くない学費を負担して、博士論文執筆に専念したいのに、何のかんのと口実を付けて学生の研究活動に無用の干渉を繰り返し、無駄に獲得した予算を消化するための、年度末の道路工事みたいに無用の作業を押し付け、要するに院生は組織防衛のための組織の得点稼ぎに働かされて、殆ど教職員と同等の危機意識と責任とを共有するよう強制されながら、しかし院生なぞ波消しブロックみたいなもので、陸にいる教職員の雇用を守るのに一役買って、それで自分は陸に引っ張り上げて(教職員に加えて)もらえるのかと云うとそういう訳ではないのです。いえ、私は在籍中にあった諸々の(専ら組織防衛のための)理不尽な学生への責任押付けのために不登校に陥ったくらいで、その組織自体に大変な嫌悪感*1を植え付けられてしまったのでそもそもあの組織で報われたいなどとは夢にも思わず、修了後の任期付きの仕事が廻って来ないように必死に逃げ回ったくらいに、そこが耐えがたくなっていたのですけれども、退学を真剣に考えたくらいで途中ですっかり気力が失せてしまっていて、本当なら順調に進めてその2倍か3倍の量になるつもりのテーマだったのだけれども、3ヶ月でなんとか恰好を付ける程度にしか、まとめられなかったのです。
 話が脇に逸れました、もちろんB氏はこんな内情を知っている訳ではありません。
 それでもやっぱり、ちょっと嫌な感じがしました。
 話を元に戻して、――では、何の用で電話をしてきたのかというと、「『C(書名)』の正体が分かった」と言うのです。私はそれを聞いてさらに嫌な気分になり「はぁ」と相槌を打ちました。(以下続稿)

*1:憎悪ではありません。嫌で嫌でたまらなかったのです。