瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

学会誌の訃報欄(3)

 この『C』という本は、素性のはっきりしない、ちょっと使いづらい本なのです。明治以前から知られている、そこそこ有名な本で、言及されることも少なくはないのですけれども、最初に紹介した人物が誤った成立年とともに世に広めたため、その後、成立年をめぐる議論が妙な按配になっているのです。そんな大した本ではないのですけれども、錯簡や改竄などもあって、いつ出来た本なのだか、なかなかはっきりしたことが言えないのです。
 私も博士論文の1節にするつもりで『C』についてそれなりに調べてみました。けれども博士論文には書きませんでした。当初予定していた分量書けていれば、中途半端な考察であっても載せるつもりでいましたが、前回述べたような事情で恰好が付きそうなものだけ取り集めて纏めることにしてしまったので、『C』に関する調査は完全に捨てたのでした*1
 それで、私はB氏が『C』の正体が分かった、と自信満々に断言するのを聞いて、――あぁ、また始まった、くらいの感想しか持ち得なかったのです。
 B氏は、有名な人でした。業績が優れているから有名なのではなく、変に目立つので有名だったらしいのです*2。地方の大学に勤めていたので出身大学の大学院には全く顔を出さず、それで私などとは学会で顔を合わせる程度でしたが、大学院に顔を出していた同じ年代の先輩たちが「Bさんは」と微苦笑を浮かべながら、一言で言えば、困った人、という扱いで話のネタにしていたのを常日頃は聞いていたのでした。同期の野郎は、大学に残れた先輩DさんがB氏の名前を聞くと嫌そうに反応するのを面白がって、何かというとわざわざ名前を持ち出したくらいです。別に、そんな凄い、常人離れした武勇伝がある訳でもありません。決して悪い人ではありません。では何が問題(?)だったのかというと、――大した業績がある訳でもないのに、衆目の一致する学界のホープたちに馴れ馴れしく近付いて、自分も同じくらいのポジションにいるかのような顔をして口を利いているのが、何というか、苦々しい、みたいな雰囲気に、私には見えました。
 非常識という程、飛ばしている訳ではないので、私などがたまに会って話す分には、別段困惑を覚えるような場面もなかったのでした。それに、本当の有力者という訳でもないので、仕事を回されてこき使われると云ったような困った(嬉しい?)こともありませんでした。せいぜい、学会の休憩時間や懇親会で会うと、「紹介する」と言って学界のホープや大物の前に連れて行かれたくらいです。大物の方もB氏のことは知っているらしいのですが、B氏の紹介する私をどの程度有望な若手と見なしてくれたかは全く分かりません。……後日、別の先輩E氏に大物に紹介されたことを話すと「悪い人ではないんだけれども困ったものだ」と言うのでした。「確かにうちの大学のような二流大学で、後ろ盾の全くない中でやって行こうとしたら、ある程度目立たないとやって行けないというのは分かるんだけれども」*3
 ですから、先輩が『C』についての自分の見解を私に話して聞かせるのを聞きながら、――実は大したことではないのを、例によって功を焦る気持ちから大発見のように取ってしまっているだけなのではないか、という気がしてならなかったのでした。
 要するに、『C』はこれまで言われているよりも新しい。その時期が分かった、という話なのですが、その根拠として錯簡や改竄などこれまでだって注意されていた、云ってみれば当り前のことを挙げて、さも凄い発見であるかのように言われても、正直、感心するより残念な感じしか受け得なかったのです。
 それとも――B氏は、錯簡や改竄に関連して、さらに自分しか気付いていない決定的な証拠まで、或いは押さえていたのかも知れません。けれども、発表前に他人に肝腎な点まで話したりしない訳です。気安く話して、相手に盗まれてしまったなんて話も学界では稀ではないからです。B氏にはそういう警戒心もあって、実はしっかりつかまえていた動かぬ証拠を敢えて私にも示さずに話したので、それで従来言われて来たこととの違いが、却って変に知識のある私には、まるで分からなくなってしまっただけなのかも知れません。しかし、私は電話口でB氏の話した内容を、B氏の少々困った人であるという諸先輩方の評価と組み合わせて、――また目立とうとして『C』みたいな本に手を出して、本当は根拠にならないような資料をそれと誤認して、自分一人が正答に辿り着けたかのように思い込んでしまったのだろう、そんな程度に考えてしまったのでした。
 従って、それで私も注意して、再び関心を持ってB氏がネット上に発信している情報を検索してみるとか、そんなことをやってみようという気持ちには全くなりませんでした*4。その死にもしばらく気付かないくらい、興味も湧かなかったのです。
 今、検索して見るに、どうも、B氏は『C』に関する研究を結局発表しなかったようです。(以下続稿)

*1:従って、B氏は私が『C』についても相当調べてあったことを知らずにいたことになりましょう。

*2:私はB氏の専門に興味がなかったので、その業績の優劣について判断出来る程の知識はありません。以下の記述も、そこまで深く人間関係が分かって述べているのではなく、たまに会った際に感じた印象を述べたに過ぎません。ただ、このように私が思ってしまったことは事実なので、そこは正直に述べますが個人が特定されない程度に朧化させました。

*3:こんなこともありました。――ある、滞っている企画の関係者に紹介されたとき、B氏は私と同期の野郎を指して「うちの後輩たちも手伝わせますから」と言い出しました。びっくりしてE氏に相談すると苦虫を噛み潰したような表情をして、B氏にはあなたたちを働かせる権限も何もないでしょう、と言ったのを覚えています。そして、その通り、20年以上経っても完成していないその企画には、不幸にして(?)全く関係せずに済みました。

*4:或いは、丁度学会から抜けようとしていた時期に当っていたので、意識してそういう情報を避けていたのかも知れません。電話のあった時期を正確に記憶していないので、はっきりしたことは云えませんが。