瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

正岡容『艶色落語講談鑑賞』(4)

 前回『艶色落語講談鑑賞』の目次を示したことで、6月22日付(1)にて河出文庫『寄席囃子』を批判した理由はより明瞭になったであろう。
 本の標題は、長篇小説で他に収録した作品がなければ、当然その題をそのまま標題にすれば良いのだけれども、短篇を集めた本の場合、収録した文章の内容を綜合して適当なものを選ぶこともあれば、最も自信のある文章を以て代表させることもある。長篇に雑多な短篇を併録した本ならば、やはり質量ともに収録した文章を代表すると見なされる長篇の題を選ぶことになろう。
 太宰治であれば『津輕』や『右大臣實朝』は長篇小説の題そのまま、短篇集で『新釋諸國噺』や『お伽草紙』は収録作の題材に基づく命名、『晩年』は収録作を執筆していた時期に就いての個人的な感慨に基づく命名、『女生徒』は自信作ということになろうか*1岩波文庫のように律儀(?)に「他一篇」と表題作の他に何篇収録したのか示す場合もある*2が、大抵はそんなことには頓着していない。
 それはともかく、『艶色落語講談鑑賞』も364頁のうち「艶色落語講談鑑賞」11〜221頁は6割近くを占めている。「目次」でも他の内容と切り離して示してあった*3が、本文を見ても11頁(頁付なし)が「艶色落語講談鑑賞」の扉(裏は白紙、以下同じ)、223頁(頁付なし)「わが寄席青春録」の扉(本文は225〜301頁)、303頁(頁付なし)「売色ところ%\」の扉(本文は305〜329頁)、331頁(頁付なし)「恵陽居艶話」の扉(本文は333〜358頁)、とそれぞれ独立した扉がある。すなわち、「わが寄席青春録」以下は抱き合せてあるだけなので、もし切り離して収録するのであれば、河出文庫『寄席囃子』が「わが寄席青春録」を独立した章として収録しているのと同様に処理すべきなのである。しかるに、河出文庫『寄席囃子』は「艶色落語講談鑑賞」でない、落語や講談の鑑賞をしていない「売色ところどころ」と「恵陽居艶話」を、それぞれ「朝鮮烏羽玉譜」と「芸苑怪異談集粋」をそれと断らずに省略し、合せて「艶色落語講談鑑賞」と題して載せているのである。先の太宰治の短篇集を例に取れば『女生徒』から「滿願」と「富嶽百景」を抜き出して「女生徒」と題して収録し、何故か「黄金風景」のみ独立の章を立てて別に収録して、肝腎の「女生徒」が何処にもない、と云ったようなものだ。そうでなくてもあんな、6月23日付(2)に示したような大雑把な「目次」はないだろう。細目をきちんと示すべきである。だから青空文庫Kindleが訳の分からぬままに踏襲して、河出文庫オリジナルの「艶色落語講談鑑賞」が妙な按配に広まってしまいかねない状況を生じさせているのである。
 ちなみに「わが寄席青春録」の章は「拾遺わが寄席青春録」を省略している。これも特に断っていないが「わが寄席青春録」とともに「続わが寄席青春録」を載せたことは奥付の前の頁に断ってあったから、許容範囲であろうか。しかしこういう抄録したものこそ、「解説」にもっとしっかりした原本についての「解説」が欲しい。別に坂崎氏の解説がいけないというのではないが、もし河出文庫で続編を出すことがあるならば、そういったことにも配慮した解説を(所謂「解説」とは別に「解題」でも良いのだけれども)特に希望して置きたい。(以下続稿)

*1:没後刊行だけれども昭和23年(1948)刊筑摩書房版『人間失格』には「グッド・バイ」も収録されているが標題は「人間失格」である。しかし昭和24年(1949)刊八雲書房版の短篇集『グッド・バイ』では標題になっている。

*2:しかし「他一篇」であれば、標題に示してしまっても良いように思うのだけれども。

*3:「恵陽居艶話」の前の空白行を挟む罫線2本が太い。以下を特に区別したかったのだろうか。