瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

正岡容『艶色落語講談鑑賞』(08)

・朝鮮烏羽玉譜(3)
 前回、時期の上限を定めたが、そのことが正岡容の年譜にどのように位置付けられるのかは「朝鮮烏羽玉譜」の最後に結論として述べることにして、今は6月30日付(06)に引いた「橋南洞の夜」の続きを見て置こう。

 奇望街とは売春窟だ。陽の目をみない女のまちだ。そこに旅びとのあたしはゆくのか? ――自/分は好奇に漸くふるへた。
 黒い囊家と囊家のあひだを、間もなく、李さんが先頭で、三人は手つなぎして、折れ曲つた。野【306頁】菜の腐つた匂ひがする。ぴしや/\みじめに水が流れる。どこかでニヤオと猫が鳴く。三人やつと/歩ける位のそこは想ひ切つて細い路次で、仰ぐと真蒼いびいどろの月がのけざまにしん/\とふつ/てきて、庇と庇の影が黝*1い!
「十二階下ですよ、つまり」
 東京にゐたさうな林さんがあぢなことをいふ。
 その内、左側の一軒の「飲食店営業」と木標のある、思ひ切つて薄暗い門のなかへ李さんが飛込/んで行つて何か、二た三言、わからぬコトバを交へたと思ふと、すぐ引返して来て、
「こゝがいゝ/\」
 と、ぼくらにいつた。
 通り庭から、靴をぬぐと、右の小部屋にとほされる。――十六、七の白衣の女が、大して荒んで/もゐない顔で、何とか我らを迎へる意味のコトバを叫んだ。
 ほんの二畳ぐらゐの部屋で、男三人、女三人、それで身動きもできないほど一ぱいになる。――/周囲は、寺院といつたかんじで、白い紙許り、壁も一ぱい貼りめぐらせて扉のとこ丈け粗悪な、而/し、親しみのある典型的な桃いろと紅と緑と水いろとで、支那の絵よりもやはらかい、草木花鳥に/賛のした、細長い絵が貼られてある。恋と野菊。鯰と水草。それから、サクラと桃の実がある。
「桃の実は、この国ではあらゆる実をイミするものなので、どこのうちにもこの絵があるんです」【308頁】
李さんがおしへてくれる。


 ここまでの引用でも察せられるように、本書の表記は新字歴史的仮名遣いである。(以下続稿)

*1:ルビ「うすぐろ」。