・朝鮮烏羽玉譜(5)
309頁の最後の行、15行めに9字下げ2行取りで「国 一 館 の 夜」とあって、310頁から本文。まず、311頁13行めまで引いて見る。
浪花館の寄席の高座を、あたしが丁ど二席了へて、あとのフロツク姿の四十男で新講談のほかに/四つ竹を鳴らせて万歳もなります。といふ先生と交替*1して、ほつと、楽屋で一と息いれてゐたら、/朝鮮蓄音器の李基成さんが、先日の林さんと、「朝鮮料理をたべに行きませんか」とさそひに来ら/れる。
間もなく、三台の俥が、霜に照る、月が哭く、加茂川みたいな橋をわたつて、暗い町家に沿ふて/走せたら、「国一館」とて金文字の、花やかに巨きな額をかゝげた、明るい玄関のある料理舗へき/た。
「さあ、どうぞ」
李基成さんは、先に立つて、よく、拭きこんだ廊下をあゆむ。
が、あとにつゞいて、廊下が絶れて、前栽*2にまでやつてきたとき、全く、あたしは、そこで生れ/て始めてなる「第一の奇異にして美しきものに接したる、純一なおどろきと歓び」とに、五体をお/のゝかせないワケにはゆかなかつた。
その前栽には、たゆたなる芭蕉が一株植ゑられてゐる、はた/\と、蒼く、巨きな芭蕉の葉だ。/葉のいろだ。
何か、わからぬ、この邦らしい、小さな葉ばかり密生した梅に似た木が、五、六本ある。――ま/だ、その外に松がある。杏がある。【310】
巨きな泉水が水をたゝへて、それへ、梅に似た葉が、十二、三片、ぽつかり落ちて、浮いてゐる。
むかふは丹塗に、油障子の、宛ら、国性爺の舞台に似た、あか/\とした楼閣の魚燈がゆれて、/その燈花*3が、また、この泉水へ虹とし映る!
あたしは、おほけなき和唐内か、夢想兵衛か、志道軒か、さては朝比奈島めぐり、昔噺の「唐茶/屋」はおろんでいらい/\の悲哀をおぼえて、しばし、恍惚! と、また、茫然と佇み、みつめて/ゐるよりなかつた。
「どうしてるんです、いらつしやいな」
李基成さんは、すぐ前の部屋から、あたしを呼ぶ。
障子の引き手のムラサキ紐を、そつと曳くと、なかは、おんどるが新羅千年の、羨むべき怠惰と/文明と悲哀とを漲らせて、暖く、あたしの胸に迫る。――たゞ長い、緑の蒲団があつて、正客のう/しろには、三角形のボール紙へ、鮮やかな黄白、桃いろの繻子で装飾したやうなものと、おなじい/ろの、巨きなさいころみたいなきようそくがある。
あたしは正客だといふかどで、即ち、そこへ坐らされた。
「浪花館」は京城の寄席・芝居小屋で、Wikipedia「明洞劇場」項に拠ると、大正6年(1917)の浪花座として開館、しばらくして浪花館と改称、昭和10年(1935)に映画館に業態変更している。
「和唐内」は近松門左衛門の『國性爺合戦』の主人公で、以下、異国に出掛ける物語の主人公が挙げられている。すなわち「志道軒」は深井志道軒を主人公にした平賀源内(1728〜1779)*4の滑稽本、宝暦十三年(1763)刊『風流志道軒傳』、「夢想兵衛」は曲亭馬琴(1767〜1848)の読本、文化七年(1810)正月刊『夢想兵衛胡蝶物語』五巻五冊、同年のうちに後編四巻四冊が刊行され、さらなる続編も現れた。
- 作者: 滝沢馬琴
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「朝比奈島めぐり」は富川吟雪(房信)画の草双紙、安永五年(1776)西村や(与八)刊『朝比奈島渡』などに見える、和田合戦に敗れて高麗に落ちたとの伝えのある和田太郎義盛の三男、朝比奈三郎義秀に志道軒や夢想兵衛と同じような異人たちの住む島々を巡らせるという筋で、幕末の五雲亭貞秀の錦絵「朝比奈島遊び」も同材である。
落語「唐茶屋」はこの『朝比奈島廻り』の草双紙を見て真似て船出するというのが発端で、実際にこれらの島々を廻ることになっている。「おろんでいらい」を繰り返すのは、主人公が最後に辿り着いた唐で、唐に帰化した日本人が主人公を唐の茶屋に案内する際に、門口でこう連呼するのである。なお「艶色落語講談鑑賞」30頁2行め〜46頁(14行め)に紹介される「上方落語/島巡り」も同じ話だけれども「唐茶屋」の落ちがない。(以下続稿)