瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

正岡容『艶色落語講談鑑賞』(12)

・朝鮮烏羽玉譜(7)
 一昨日からの続きで「国一館の夜」の314頁6行めから最後(316頁2行め)まで。

    ×
 ――国一館へは、尤も、このゝちも、もう一ど、李基成さんと放送局の松田寿雄君と、ある夜更/けに自分は、訪れたことがある。
 が、この夜は、自分は、単なる「奇を猟る」ヱトランゼエではなかつた、おなじく、ヱトランゼ/エではあつたが、そは、悲哀なる恋を追ふひとりなる旅びとでこそあつた。
 自分はある所でそのゝち逢ふた李花仙といへる、わかく、快活で、哀しみ滋*1き、ひとりの妓生を/忘れかねて、むりに李さんにたのんで、逢はせてもらふべく、この料亭を訪れたのである。
 花仙は、けふも、悒鬱な面長に笑をたゝへて、我らを迎へてくれたが、座にもうひとりの妓があ/つて、我が情懐をつたへる機*2はなかつた。
 その前の夜の、花仙とあたしは、可成いろ/\の話までしあつたのだが、今夜は、却つてお交ひ/が胸重く、あたしはともすれば、酒がにがくてこんなむりをたのんだ李さんへの責任(?)をおもふ【314頁】と、それにも重たく胸を圧されるのであつた。
 あたしは、いら/\するさびしさを、盃に包んで紛らはせた。
 さうしてこんな夜更けに、もしこの間のやうな誰かゞ病ら葉を泪ぐましくゆらせてくれたら、こ/んどこそ、ほんたうにもつと声あげて哭けるだらうと想つたが、いぢ悪く外景*3には微風一つだにな/い。
 李花仙よ、李花仙よ、卿*4、とはに美し! とはに卿を忘れまじ! ――あたしはそこでひとりこ/ゝろにかう喚びつゝ、妓の美しい横顔をみ守つて、
 旅びとのいとかりそめの情としあゝ李花仙よ思し給ふな
 李花仙のうすくれなゐの舞衣*5に秋の花咲く夕まぐれかな
 李花仙に花がふるなり韓国の十一月の花がふるなり
と、こんな歌さへ唇に泛べた。
 折から長鼓が――長鼓が、きこえる。
 国一館の夜はいつまでも更けなかつた。
 
 此をかいてから二十有余年の歳月がながれ去つた。もう一つ妓生に取材した「朝鮮式紙抄」があ/つたが、いつか流寓に失つた。私が睦じくした才妓李花仙も、いかにも狭斜の街らしかつた武橋町【315頁】も、国一館も魔窟もみんな兵火に氓びてしまつたらう。
 私は哀しい。


 ベタ褒め、というかベタ惚れ、である。
 さて、最後の4行は『艶色落語講談鑑賞』収録に際してを書き添えられたとして、昭和27年(1952)から「二十有余年」前は昭和初年頃のことになる。
 そこで永井啓夫「正 岡 容 年 譜」(『正岡 容集覧』653〜657頁)及び永井啓夫「正岡 容 年譜」(『完本正岡容寄席随筆』455〜468頁)を参照するに、「大正十五年・昭和元年(二十二歳)*6」条、前者の455頁下段16〜21行め・後者の458頁下段4〜9行めの最後の行に、

 (この頃、朝鮮巡業に参加する)

とある*7
 この「年譜」については後で比較しつつ検討するつもりだけれども、かなり粗い。著述目録としても不十分である。そのことは『正岡 容集覧』の時点で657頁「年譜解題」に断ってあったけれども、30年を経ての『完本正岡容寄席随筆』466頁下段〜467頁・468頁下段にこの「年譜解題」がそのまま収録されているのは、怠慢の誹りを免れないであろう。永井氏に改稿の用意がなければ、誰か人に委嘱して増補することは出来なかったのか。最終的に永井氏が校閲して、永井氏の名で出すのはもちろん構わない。――「年譜」については、人生の転機になったような主要な事績・事件を挙げて置けば良いという考えもあろうが、それは「略年譜」というべきであって、何かその人に関する瑣事を見付けた際に参照して、それがどこに位置するのか分かるような年譜でないと(それが一般読者にとって徒に長くどうでも良いようなことばかり列挙してあるように思われるものであっても)役に立たない。いやその意味では(この頃、朝鮮巡業に参加する)の1行があるから、この件については良しとすべきなのであろうけれども、他の事跡について見るに、『正岡 容集覧』にも採録されている文章に書いてある年月はっきりした事柄が落ちていたりする。
 私はまだ正岡氏の著述を殆ど読んでいないので、これら年譜に載っていない事跡を挙げてここと指すことは未だ出来ないが、この件については7月1日付(07)京城放送局について確認して置いた上限、昭和2年(1927)の十一月の可能性が高いと思う。昭和4年(1929)春に東京に戻る前、昭和3年(1928)の可能性もあろうか。(以下続稿)

*1:ルビ「おほ」。

*2:ルビ「とき」。

*3:ルビ「そ と 」。

*4:ルビ「おんみ」。

*5:ルビ「まひぎぬ」。

*6:後者は見出し1字下げで括弧は半角。

*7:後者は字下げなし、括弧は半角。