瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

正岡容『艶色落語講談鑑賞』(13)

・朝鮮烏羽玉譜(8)
 滋賀県立近代美術館日本画家三宅凰白(1893.5.2〜1957.2.26)描く「李花仙」の素描(紙本墨画)がある。同一人物かとも思われるのだが、証拠はない。滋賀県立近代美術館には他にも、三宅氏の似たような素描として「崔素玉」「張美花」「呉錦波」が収蔵されている。しかしながらHPに示されている図版は小さくて文字が読めず、いづれの素描も「制作年」欄は空白であり、果たして京城の李花仙なのかどうかも分からないのである。
川村湊『妓生 「もの言う花」の文化誌2001年9月10日第一刷発行・定価2800円・作品社・257頁・A5判上製本

妓生(キーセン)―「もの言う花」の文化誌

妓生(キーセン)―「もの言う花」の文化誌

 第五章 妓生学校/一 『箕城妓生写真集』(141〜161頁)*1に、平壤にも李花仙という妓生が存在したことが見えている。『箕 城/妓生寫真集』(発行日不明・箕城券番)及び『箕城妓生名鑑』(昭和十三年十二月十五日発行・箕城券番)に写真が出ており、「モダン日本」朝鮮版(第十巻第十二號・昭和十四年十月十七日印刷・昭和十四年十一月一日發行・臨時増刊特價五十銭・モダン日本社・354頁)の「平壤妓生内地名士を語る」座談会に、150頁18行め「「三年位」前に死んだ李花仙姉さんの話が出ている」という。そこで152頁6行め「昭和十四年の時点で「三年位」前に死んだはずの李花仙の写真」が『箕城妓生名鑑』に載っているのは7〜8行め「昭和十三年発行の奥付とやや矛盾するが、死亡による写真の削除が間に合わなかったとか、/記念のためあえて死亡者の写真も掲載したとも考えられる」と辻褄を合せようとしている*2。座談会に出席した12名の妓生に崔素玉・張美花・呉錦波は見えないが、引退または死亡の可能性もあるので崔素玉・張美花・呉錦波の3人が平壤の妓生ではない(つまり京城の妓生である)とも決められない。
 川村氏の本を熟読するに至っていないが、第四章 妓生の生活と社会(115〜140頁)三 妓生の経済学(131〜140頁)に「国一館」に言及するところがある。すなわち、132頁に朝鮮料理屋として見え、139頁下に「図4-12 料亭「國一館」と「唯一館」」の図版があって、254〜255頁「図版一覧」を見るに、255頁下段5行めに「図4―12 料亭「國一館」と「唯一館」――『朝鮮の事情』」とあるのだが、索引がないのでこの『朝鮮の事情』の素性は(細かく読んでないからなのだが)俄に分からない。(以下続稿)

*1:「一」とあるがこの章に「二」節なし。

*2:たびたび言及するものの川村氏は平壤の李花仙の写真を掲載していない。