7月7日付(13)の続き。
・朝鮮烏羽玉譜(09)
昭和初年に正岡氏が京城の国一館で会った妓生・李花仙であるが、次の本に登場する李花仙が、同一人物なのではないかと思われる。
朴哲彦/水沼啓子 訳『日韓交流 陰で支えた男―朴哲彦の人生』2005年6月13日第1刷発行・定価1,800円・産経新聞ニュースサービス・303頁・四六判上製本
- 作者: 朴哲彦,水沼啓子
- 出版社/メーカー: 産経新聞出版
- 発売日: 2005/06
- メディア: 単行本
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日本語版の標題はちょっと奇妙であるが「日本語版に寄せて」の冒頭、1頁め2行めに、
私は昨年、韓国で自身の回顧録『我が人生 歴史の軌跡』(原題)を刊行した。‥‥
とあるように、著者・朴哲彦(1926生)の付けたものではない。
朴氏は戦後、父の勧めで北朝鮮を脱してソウルに移り、英語力を活かして逓信部保険局に採用され、そこで日本留学経験のある上司に勧められて昭和23年(1948)3月に日本に密航し、そこでも英語力が物を言って昭和24年(1949)、東京の連合軍総司令部に採用され第二局の所属となる。そこで昭和25年(1950)6月25日、朝鮮戦争の開戦を迎える。その頃、八木信雄に紹介され、さらに数日後にその師匠である安岡正篤(1898.2.13〜1983.12.13)の知遇を得ている。――ように読めるのだが、71〜199頁「第二章 而立の檄流」92頁7行め〜100頁9行め「◆安岡正篤」の節に安岡氏との初対面のことを綴って、昭和28年(1953)10月15日の「久保田発言」についても論じ合っているので、その年末のことのようである。
そして、99頁2〜4行め、
話題が軽い方向に流れ、彼の回想談が始まった。
「長い年月が経ちましたが…」
彼の視線が遠い過去に遠ざかっていった。
として安岡氏は李花仙の思い出を語るのである。(以下続稿)