瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎『抱茗荷の説』(09)

 昨日の続きで、細川涼一「小笛事件と山本禾太郎」に示される「抱茗荷の説」梗概が「‥‥田所君子という娘が、八歳まで育ててくれた祖母の死後、流れ流れてふたご池のほとりにある豪家(実は母の実家)に女中として雇われるという因縁譚」としていることについて、今日は考えて見ます。
 「因縁譚」と云うと、孤児になった主人公君子が「流れ流れ」て偶然「母の実家」に雇われたかのようです。
 しかしながら、前回「母も自殺した」とあることに関連して挙げた記述から大体察しが付くことと思いますが、君子が「ふたご池のほとりにある豪家」に雇われたのは偶然ではありません。
 9月30日付(05)に引いた、細川氏の「抱茗荷の説」に関する記述の続き、後半を引いて置きましょう。『京都の女性史』176頁4行めから177頁4行め、本文の引用は2字下げです。

 確かに、「窓」や『小笛事件』の記録主義的な文体と、「抱茗荷の説」の幻想的な文体を対極にあるものとする/山下氏や権田氏の説は首肯しうるものがある。しかし、「抱茗荷の説」を読んで私に印象深いのは、作り物めい/た因縁譚よりは、祖母を失ってからの君子が、旅芸人の一座に身を投じてからの生活をめぐる、あたかも丸尾末/広『少女椿』のみどり*1を彷彿させる、次のような叙述である。

君子は旅の大道芸人の稼業が決して好きではなかった、ことにだんだん年頃になるに従って、この稼業が嫌/になったが、稼業よりも尚お嫌なことが一つあった、それは今まで親のように云っている親方が酒飲みで乱/暴者で、それよりも尚おがまんのできぬことは、いやらしいことを仕向けることである。十年もこうして辛/抱してきたのは、親方のおかみさんがとても親切に、身をもって庇ってくれたためでもあるが、それより夢/としては諦めかねる母の最期の地を捜しあてて、前後の事情をはっきりと知りたいためであった。今年も涼/しい風が立ちはじめると君子達は南にむけて旅をつづけた。ある日、初日の商売を終ったその夜、その日の/稼ぎが多かったためか親方は、いつもより酒を過ごして、またしても君子に挑みかかった。君子がはげしく/拒むと酒乱の親方は、殺してやる、といって出刃包丁を振り舞わすという騒ぎだった。その夜あまり度々の/ことに辛抱しかねたか、親方のおかみさんは遂に君子を逃がしてくれた。それも旅で知り合った女*2が堅気に/なって、五里ばかり離れた町に住んでいるからと云って、添書をしてくれた。

 禾太郎は浪花節の一座に入り込んだ経験があるから、君子に見られる旅芸人の一座で生活する孤児の境涯は、/禾太郎が実際に見聞きした事実であったと考えていいであろう。そして、不運なめぐり合わせによって社会体制/から疎外された女性の肖像を描こうとする禾太郎の姿勢は、幻想的なフィクションの形式をとった「抱茗荷の/説」の旅芸人の少女君子にしろ、ノンフィクションの『小笛事件』の小笛と養女千歳にしろ、共通するものがあ/ったのである。


 最後の方は9月30日付(05)の最初の方に言及しました。引用されている本文は『山本禾太郎探偵小説選Ⅱ』では273頁9行め〜274頁2行めで、表記の違い以外の異同は昨日引用しましたが273頁14行め「最後の地」となっていることと、「今年も涼しい風が‥‥」から段落が変わっていることです。
 細川氏が『少女椿』との類似という個人的な趣味もあって(?)注意している旅芸人暮しについて、9月28日付(03)に引いた山下氏の梗概は全く注意していません。後の方に『探偵小説の饗宴』188頁14〜15行め「旅から旅へ、当所もなくさすらう侘しい遍路や一群の旅芸人/の姿、*3」とありますが、この書き方では君子が旅芸人になっていたとは分かりません。
 さて、この「女*4」のところで「池のほとりにある豪家」を知るのですが、それは次のような君子の行動に拠るのです。275頁3〜6行め、

 君子は旅の十年間、知らぬ土地へ行くと、このあたりに湖のように大きな池はないかと/尋ねることに極*5めていた。それは言うまでもなく夢のように記憶の底にある池の畔*6の森に/囲まれた家を捜すためである。家の主人は一里ばかり離れたところに大きな池があると教/えてくれた。そして、むかし‥‥


 この続きは9月28日付(03)に引いた山下氏による梗概の後半、庄屋の家に生まれた双生児にまつわる話になるのですが、山下氏は女中として傭われてから「土地の古老から聞」いたように書いていますが、本文ではこの「女*7」の夫かと思われる「家の主人」が「話してくれた」「古くから伝わっている説」なのです。
 そしてその後で、275頁13〜14行め、

 君子がふた子池のほとりにある豪家に女中として雇われてきたのは、それから間もない/ことであった。‥‥

となるのです。この続きが9月29日付(04)に引いた「――母は殺されたのだ――」と確信する場面になります。
 それはともかく、たまたま頼った「女*8」が母の実家近くに住んでいた訳で、そこは都合が良いと云えば云えなくもありませんが、意識して探して女中として乗り込んだのであって、「流れ流れ」て偶然雇われた家が「母の実家」だった、などという「作り物めいた因縁譚」ではないのです。(以下続稿)

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 要約に関する私の考えは別に書いて置くつもりですが、こうして山下氏・細川氏の梗概を並べて見るだけで、要約というものが如何に見る人によって差異の生ずる、危険極まりないものであるかが分かろうかと思います。おかしな梗概による先入観が、作品読解に影響を与える可能性も否定出来ないことを考えると、私はどうしてもこういった記述をそのままにして置くことが出来ないのです。

*1:ここの右傍に(39)とあり、181頁11行めに「(39) 丸尾末広少女椿』(青林堂、一九八四年)」とある。

*2:ルビ「ひと」。

*3:ルビ「あてど・わび」。

*4:ルビ「ひと」。

*5:ルビ「き」。

*6:ルビ「ほとり」。

*7:ルビ「ひと」。

*8:ルビ「ひと」。