瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

怪談同好会編『古今怪異百物語』(3)

 東雅夫『昭和の怪談実話ヴィンテージ・コレクション』の「編者解説」及び『百物語の怪談史』の書き方を見るに、本書には装幀挿画の担当者の名前が入っていないらしい。
 そこで、ここに装幀挿画の担当者を明示する資料を紹介したい。確か、6月上旬に「讀賣新聞」のデータベース「ヨミダス歴史館」を検索して見付けたのだが、東氏が本書についてどのように記述しているか確認して置こうと思って、まず『百物語の怪談史』を見たのだが、なかなか『百物語の百怪』を見られないでいるうちに秋になってしまった。そして『百物語の百怪』の段階ではまだ東氏は本書を取り上げていなかったのだった。
 私が[改版]として本の旧版・新版の比較を続けているのは、こういった、ある部分は以前に出た本にそのままだけれども、内容にかなりの出入りや増補がある本について、どの段階からのものであるのか、確定させて置かないと、論述に使いにくいからである。
 それはともかく、漸く『百物語の百怪』には記述がないことを確認して、9月8日付(1)に、1年半前に気付いていた神保朋世のことを報告し、9月9日付(2)に若干の補足を書き足して、いよいよこれを確実にする「讀賣新聞」に及ぼうと思ったのだが、豈図らんや、メモの字が汚くて自分でも判読出来なかったのである。
 そのため、もう一度「讀賣新聞」を閲覧する必要に迫られ、しかし確かめてみると別に文脈から分かりそうなものなのであった。
・「讀賣新聞」第一万九千百四十二號 昭和五年六月十日(火曜日)*1 【一】面
 当時の新聞は一面が全面広告で、大きく4段に分けられるうち3段めの中央に、2つの頂部が左上に来る恰好に「W」字型に大きく黒く潰して、特徴ある書体で白抜きで右上に「今古」と横書き、その左に大きく「怪異」と縦書き、その左に縦書きで「百物語」とあって「百」は「怪」の字の半ばの高さから、「異」は「語」の字の半ばの高さまで。この文字は幽クラシックス『昭和の怪談実話ヴィンテージ・コレクション』10頁に示される函の題字とは全く異なる。そして左上と右下に出来た余白に、宣伝文句などの明朝体の文字が詰まっている。
 左上、「百」の上「怪」の左の余白に、横組みで「版九忽」とあり、黒い人魂のようなもので、右端に本体があって左へ90度折れて下へと長く尾を引く形で、上辺と左辺の仕切りにしている。同じような人魂風の仕切りは右下部にもある。
 右下、「今古」の下に以下の宣伝文句がある。「尚」の上部は「小」だが再現出来なかった。

この綺書に收めた一百の物語、それは四/谷怪談でもなければ牡丹燈籠でもない。/すべてが今までの型をはなれた新鮮味に/富む怪奇譚、一話一譚迫り來るその凄慘/味、凉風一過夏の夜尚寒し。これあれば夏/の夜はたのし。綺を願ふ人にすゝめん。


 この左に2段組で、上段に小さく、

●表  紙 鴨下 晁湖畫伯
●函及見返 宮尾しげを畫伯
●口  繪 神保 朋世畫伯
●挿  繪 大橋 月皎畫伯

とある。「畫」は「画」の如く「田」を囲う字体、また「神」及び「挿」も再現しづらかったので仮に新字で示した。すなわち東氏が言及している曼珠沙華の表紙は鴨下晁湖(1890.2.25〜1967.10.20)、東氏がカラー図版に採用している挿絵は神保朋世のものだが、他に大橋月皎の担当した挿絵もあるようだ。
 大橋月皎は生没年不詳、ネット上には「昭和卅八年九月」の年記のある作品が上がっているので、昭和38年(1963)までは存命。SMpedia「大橋月皎」には「1895年(明治38年)-」とあるが、*2これは明治28年(1895)の誤りだろうか。
 そして小さい字で2字分空けた下段に、

(四六判布装函入四百卅頁)
  定價一圓五十錢
  送料  十二錢

とある。定価・送料は大きく「装」「送」は再現しづらかったので仮に新字で示した。
 「異」の字の下右に黒い人魂があって、まず下へ、すぐに右に長く尾を引いて、宣伝文句の下までを仕切っている。宣伝文句の右には仕切りはない。
 「異」の下に横組みで大きく「館  文  博*3」とあり、その上に右詰めで「町崎戸川石小京東」、下に左詰めで「(番〇四二京東替振)」とあってここの漢数字のみゴシック体。(以下続稿)

*1:号数と日付は上欄外に右からの横組み。

*2:【2019年9月22日追記】脱落していた「が、」を追補。

*3:【2019年9月22日追記】「館」は正字で入力してあったがダイアリーからの移行に際して「邢」と文字化けしたので新字に置き換えた。