瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎「東太郎の日記」(06)

 さてここで、10月7日付(02)の前置きで予告した、論創ミステリ叢書『山本禾太郎探偵小説傑作選』編集時に「東太郎の日記」を見付けられなかった理由の見当を、述べておきましょう。
・九鬼紫郎『探偵小説百科』

探偵小説百科 (1975年)

探偵小説百科 (1975年)

 本書は先に10月7日付(02)の「犯罪実話」について引用しましたが、書影を貼っていなかったのでここに示して置きます。
 14〜227頁「第二章 日本の探偵小説」の、50頁下段5行め〜144頁下段1行め「日本の探偵小説 Ⅱ」、125頁下段〜135頁上段14行め「戦前の他の作家たち」として20人が紹介されています。殆どが半頁程度で長くても1頁分ないのですが、7人め(128頁下段4行め〜130頁上段4行め)の「 山本禾太郎(やまもと のぎたろう)」のみ、128頁下段5行め〜129頁下段2行め「 探偵小説の先駆者の一人、‥‥」と残り「 探偵雑誌“ぷろふいる”の誕生には、‥‥」の2つの節に分かれています。他の19人は1段落で終わっているのが山本氏のみ2つの節がそれぞれ2段落に分かれていて、やや重い扱いになっています。
 それはともかく、「探偵小説の先駆者の一人」の節の2段落め(129頁上段15行め〜)を抜いて見ましょう。

 彼は“新青年”に『窓』以外に八つの作品を書いて、こ/の雑誌とは縁のきれたかたちになるが、けっして凡庸な作/家ではなかった。地味な作風とやや古めかしい文体、実在/事件により多くストーリイを求める方法が、モダン雑誌に/一変した“新青年”にはそぐわなかったが、“週刊朝日”/の懸賞小説募集に、『東太郎日記』を投じて第一席になり、/“サンデー毎日”の大衆文芸作品募集には『あせびとバ/ラ』が入選するという活躍ぶりを示す。どちらも探偵小説/ではなく、また禾太郎は昭和一〇年ごろには、すでに探偵/小説への意欲をうしなっていた。


 「新青年」には9篇が掲載されていますが、その最後は昭和4年(1929)8月の十巻十号「夏季増刊探偵小説傑作集」掲載の「反対訊問」です。
 そして「馬酔木と薔薇」については『山本禾太郎探偵小説傑作選Ⅰ』の横井司「解題」に、383頁14〜19行め、

 「馬酔木と薔薇」は、『サンデー毎日臨時増刊「大衆文芸傑作集」』一九二七年四月一〇日号に/発表された。単行本に収録されるのは今回が初めてである。
 どことなく谷崎潤一郎の「魔術師」(一七)の影響を思わせないでもない。この時期の禾太郎は「モ/ダン雑誌に一変した“新青年”にはそぐわなかった」(九鬼紫郎、前掲『探偵小説百科』)と目さ/れているが、モダニストの資質も持ち合わせていたことをうかがわせるユーモア篇といえる。そ/うした資質は「空想の果」や「映画館事故」にもみられるものだ。

と述べてあります。「空想の果て」と「映画館事故」はともに「新青年」ではなく、「探偵趣味」昭和2年(1927)8月号・昭和3年(1928)3月号に掲載されています。
 さて、九鬼氏は「東太郎日記」を「馬酔木と薔薇」よりも前に挙げています。そうするとまだ「新青年」に作品を発表していた頃、そこからの離脱を模索して執筆したもののように読めるのです。もちろん、その辺りに見当を付けて探したとしても、見付かりません。
 ちなみに「直木賞のすべて」の川口則弘(1972生)のサブサイト「文学賞の世界」に「『サンデー毎日』大衆文芸入選作一覧」が纏められていますが、ライバル誌「週刊朝日」の懸賞小説は川口氏も「まだまだ調べ切れていない」部類に入るらしいので、詳しく紹介して置く意義もありそうです。
 それはともかく、この九鬼氏の記述を、10月7日付(02)にて見たように山下氏は修正しているのです。――確かに、九鬼氏は「ぷろふいる」の2代目編集長だった人です。しかしながら「あせびとバラ」という書き方からも察せられるように資料を揃えて書いた訳ではなく、記憶に頼って書いているようです。山下氏がそのことに気付いて、特に時期を、不十分ではありましたが修正し得たのは、山本氏の随筆、次に冒頭部を引く「探偵小説と犯罪事実小説」を読んでのことだろうと思います。この随筆は論創ミステリ叢書15『山本禾太郎探偵小説傑作選Ⅱ』331〜335頁に収録されています。横井司「解題」では400頁8〜15行め、まず最初の2行を抜いて見ましょう。

 「探偵小説と犯罪事実小説」は、『ぷろふいる』一九三五年一一月号(三巻一一号)に発表され/た。単行本に収録されるのは今回が初めてである。


 それでは本文の方、332頁から333頁5行めまで(331頁は扉)を引いて見ましょう。

 西田政治さんから――山本は犯罪実話の脚色専門家である――と言われたことがある。/事実私は犯罪事実に取材した探偵小説を書いたことがあるし、ほんとうを白状すれば、私/にはなまなかな探偵小説より犯罪事実の方が面白い。それは探偵小説は作家の空想から生/まれる智識の遊戯であるが、犯罪事実は心理的に非常に深いものであるし、それを生むも/のは我々の生活する社会であるだけに、考えさせられる多くのものを持っているからであ/る。しかし現在行われているいわゆる――犯罪実話――なるものを面白いと思ったことは/一度もない。
 そこで私は――犯罪事実小説*1――といったようなものが生まれないかと、年来考えてい/たところ週刊朝日で――事実小説――というものを懸賞募集し、――事実小説とは、一つ/の新しき報告文学であり、実話と小説の中間、しかも実話により近き作品である。つきつ/めて言えば既に小説的である事実から、その事実、事実の系列をぶった切って来たもので/よろしい。事実の上に小説的に加増するよりは、むしろ事実中より過剰の部分、夾雑的分/子を減じようとする方の制作態度を要求するものである――と説明している。こうした意/味の事実小説なるものが、成りたつものとするならば、そのもっとも興味的なものは犯罪【332頁】事実小説でなければならない。それは事実に面白さを求める場合犯罪以上のものはないか/らである。
 探偵小説では犯罪事実に取材したものは駄目である。それは犯罪事実は探偵小説になり/ようがなく、探偵小説とはまるっきり別のもので、それ自体独自の興味をもって見らるべ/きものであるからである。


 西田政治(1893〜1984)のコメントは後年の、10月6日付(01)に引いた「あの頃」でも繰り返していました。
 この続きは小笛事件の話になるのですが、この随筆発表の翌年(昭和11年)に「犯罪事/實小説」との角書を冠して刊行したのが『小笛事件』でした。すなわち、山本氏の書いた通りを素直に受け取ると、「週刊朝日」の事実小説懸賞募集は『小笛事件』の初出「頸の索溝」の新聞連載が始まった昭和7年(1932)7月よりも前に位置付けられそうに思えます。ここに抜いた部分からだけでも十分、そのような察しが付けられるでしょう*2
 ところで、横井氏は「探偵小説と犯罪事実小説」の「解題」の最後に、次のように述べています。400頁13〜15行め

‥‥。本稿の後半は『小笛事件』の作者の言葉として/も読めるだろう。『週刊朝日』で行われた事実小説の懸賞募集には禾太郎も投じており、「東太郎/日記」で第一席に輝いているが、本書の刊行までに発見できず、今回は収録を見送っている。


 「今回は収録を見送っている」とありますが、「発見でき」ていたら「収録」されていたようです。もし論創ミステリ叢書『山本禾太郎探偵小説傑作選Ⅲ』が可能になるならば、浪曲界物ということで『消ゆる女』と抱き合わせることになりましょうか。「探偵小説」じゃないんですが、このシリーズの1冊として加わるくらいしか復刊の見込みはなさそうなので、そんなことを夢想して見るのです。もし実現するのであれば喜んで本文を提供します。挿絵が省略されてしまうのが勿体ないのですけれども*3
 当ブログでも本文を紹介しますが、なるべく原本に近い形で、必ずしも読み易い形で提供しないつもりで、かつ一遍に全文を入力する余裕がありませんので、切れ切れになります。それから当ブログは画像を掲載しませんので挿絵は言葉で説明します。――論創ミステリ叢書でなくても構いません、何とか活字になりませんでしょうか。(以下続稿)

*1:「事実」に白丸の傍点。

*2:「探偵小説と犯罪事実小説」全文「SOGO_etext_library」に挙がっています。

*3:10月16日追記10月17日付(10)に詳細を述べますが『山本禾太郎探偵小説傑作選Ⅲ』の可能性はなさそうなので関係箇所を削除(見せ消ち)にしました。