瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎「東太郎の日記」(08)

・「週刊朝日」の「新大衆文藝『事實小説』募集」(4)
 次に当選発表の号を見てみましょう。
週刊朝日新年特別號(第二十五卷/第 一 號)昭和九年一月一日發行・朝日新聞社・224頁・B5判並製本
 この号も製本されているものを見たので、号数や発行日は目次に拠りました。
 表紙は黄色地で、題字は赤「日 朝 刊 週 」、「刊 週 」の下に「号別特年新」他の文字は縦組みで「」の下に明朝体太字で「『ミスニツポン』募集」二重鍵括弧は半角、「募集」は「ポ」の左に位置する。題字「日」の左下、2本の太線に挟まれて黒のゴシック体太字で「懸賞事實小説當選發表」二重鍵括弧は半角。左下に黒のゴシック体で「定 價 三 十 錢」。絵は晴着姿で目の大きい丸顔の女性の上半身、真ん中で分けて後頭部で結わえた洋髪で、差し上げた右手に羽ばたく丹頂鶴を描いた扇を持つ。
 巻頭単色グラビア頁(頁付なし)は30頁あり、2〜3頁めの紺で印刷された見開きが「目次」。2頁め、まず標題と巻号、発行日があり、ついで「表 紙「舞 初 め」   寺 内 萬 治 郎  扉 繪「春 の 鳥」  榊 原 紫 峰」とあり、榊原紫峰(1887.8.8〜1971.1.7)は真っ直ぐ下に位置していますが、寺内萬治郎(1890.11.25〜1964.12.14)は右に小さく「HBオフセツト極彩色刷」とあるので若干左に寄っています*1。次に「〈口繪グラフイツク〉………………」として口絵の細目3行、その次に枠で囲んで、上部に紺の長方形(1.2×4.0cm)に白抜き横書きで「選当賞懸/説小實亊」とあって、その下に続く枠内(13.6×3.8cm)に、明朝体太字で大きく、

東太郎の日記…………………………米 島  芿………一二
移民地の或女…………………………小 山 甲 三………三八
丸ビルの女達…………………………加東まさ子 ………五六

とあります。「芿」は以下「清」で代用することにします。そして3頁めの最後に枠(14.6×1.2cm)があって、ゴシック体太字で「第二回懸賞事實小説當選發表…………………三六」とあります。
 まずこの当選発表から眺めて置きましょう。【 36 】頁、右側に魚類(?)と網目をあしらった背景に手書きで「懸賞亊実小説當選発表」とあって、その左、飾り枠(右辺なし)の中に2段組みで、まず上段に、

週刊朝日」創刊十周年記念事業の一つとして、昭和七年募集した新大衆文藝「事實小/説」は、大センセイシヨンを捲き起し、江湖の賞讚を博することを得た*2。この、文藝の/領域に新しき旗幟を掲げた意味深き企てに大成功を收めた本誌は、更に賞金を千五百圓/に増加して第二回募集を昭和八年初夏特別號に發表したるところ、第一回に劣らざる優/秀なる應募作品二千五百篇を得た*3。本誌編輯局では全員を擧げて第一次、第二次と愼重/なる審査を進め先づ三十篇を選出し更にその中より當選作を選定するにあたつては何れ/劣らぬ優秀作ばかりで、その審査會議に旬日を費し、漸く當選作を左の通り決定するを/得た*4。今や、純文藝復興の機運に際しこの生新にして意義深き優秀作品を推奨する喜び/を持つとともに、應募者諸氏に敬意を表する次第である*5

とあり、小山氏までは上段、加東氏は下段で、大きく

  一等當選 一人【賞金五百圓】
『東太郎の日記』
  〈神戸市兵庫區羽坂 /通り二丁目七四ノ一〉 米 島  清
  二等當選 二人【賞金三百圓宛】
『移民地のある女』
  〈横浜市中區南太田町/一、四八三    〉 小 山甲 三
『丸ビルの女達』
  〈東京市世田ヶ谷區代/田二ノ七八四   〉 加東まさ子

とあります。割書の住所は明朝体太字の題の3・4字目の左にあり、同じく明朝体太字で題よりも若干小さい作者名は題の6字めから下に入っています。二重鍵括弧は半角。
 下段には続いて、

選外佳作 一席 二人【賞金百圓づゝ】
『細 君 と 妓 生』   宮崎市瀬頭町二八五  木之下白蘭
『山 村 日 記』  〈名古屋市外天白村松和/花壇三〇 吹本方  〉  粥川光繪
選外佳作 二席 五人【賞金四十圓づゝ】
『 陸 』       〈神戸市林田區庄田町二/ノ二九       〉  楚木亞夫
『要 塞 地 帶』  〈大阪市旭區野江町三ノ/五〇〇       〉  米田 俊
『大阪から來た踊り子』〈東京市淺草區田原町二/ノ二二 折原方   〉  山下伍七郎
『私  生  兒』  〈水戸市鐵砲町六六六/古賀方      〉    藍川陽子
『霧 の 夜 汽 車』  〈東京市世田ヶ谷區經堂/町四六       〉  畑中路夫

とあります。【賞金】は若干小さく明朝体の題と作者名と同じ大きさなのですが大きさに差を付けませんでした。字配りは木之下氏が原本の再現に近くなっています。
 続いて次のようにあって以上が36頁。

 右のうち一等當選一篇、二等當選二篇、合計三篇を本號に發表したが、選外佳作は週/刊朝日特別號または普通號で順次發表の豫定である*6。なほ以上の選に漏れたるものゝ中/から推奨し得べき作品二十と作者名を左に掲げることゝとする*7


 【 37 】頁の上段、まずごく小さい字で以下の20点が挙がっています。

 「御令孃慘殺」中尾龍一(門司)「神奈子の日記」草刈昌男(東京)「お房の貞操」藤川正一(徳島)/「孤影」李龍泉(朝鮮)「強い人達」金子徳伍(東京)「Yホールの女たち」茂木清太(北海道)「巷/の一隅」沙丘千架(熊本)「宿命」佐藤回三(青森)「神學生の手記」山内史朗(愛媛)「裏街裏の戀人/形」春木三樹(大阪)ニトログリセリン」徳田貴(東京)「大臣と女たち」中川勝(東京)「無笑國夜/話」中堀耕二(東京)「ぼろぎれの人生」永戸幣(金澤)「キネマ行路」大城壽夫(京都)「彼女の解決/法」弓田麗子(東京)「二つの疑念」片柳潤(山形)「秋の情人」江角俊尚(戸畑)「微笑める素描」香/住亮(京都)「冬」高二郎(金澤)


 以上30人の中には、米島清こと山本禾太郎の他にも著述活動の確認出来る人が何人かいますが、これについてはもう少し調べを進めてから報告したいと思います。(以下続稿)

*1:大体「寺」の右に「オフ」、「内」の右に「ツト」、「萬」の右に「彩色」という位置。

*2:ルビ「しうかん・そうかん・しう・きねんじげう・せう・ぼしう・しう・げい・じじつ/せつ・おこ・こうこ・せうさん・はく」。

*3:ルビ「げい/れういき・かゝ・いみふか・くはだ・こう・をさ・し・せう/ぞう・ぼしう・せう・しよ・とくべつごう・へう・おと・ゆう/しう・おうぼ・へん」。

*4:ルビ「しへんしうきよく・ぜんいん・あ・しん/しんさ・すゝ・へん・せん・さら・とうせん・せんてい/おと・ゆうしう・しんさ・ぎ・じゆん・つひや・やうや・とうせん・とほ・けつてい/」。

*5:ルビ「じゆん・げいふくこう・きうん・さい・いぎふか・ゆうしう・すいせう・よろこ/も・おうぼ・しよ・けいい・へう」。

*6:ルビ「とうせん・へん・とうせん・へん・けい・へんごう・へう・せん・か・しう/かん・とくべつごう・ふつうごう・じゆん・へう・よてい」。

*7:ルビ「せん・も/すいせう・かゝ」。