瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎「東太郎の日記」(09)

・「週刊朝日」の「新大衆文藝『事實小説』募集」(5)
 前回、住所をそのまま載せましたが、82年前の懸賞小説で関係者も死に絶えているでしょうし、遺族がそのまま在住していても住所表示も変わっているであろうと思ってのことです。分かる人には分かる(かも知れない)ように示したのは、或いは、先祖の知られざる文才に当ブログの記事で気付いて、遺稿か、当時の「週刊朝日」からの通知状等が発掘されれば、とそんなことを考えたりもするのです。
 それでは「懸賞亊実小説當選発表」の続き、37頁の残りですが、まず上段8行めに明朝体太字で大きく2字下げで「選   評」とあって、左右に子持線(4.7cm)があります。以下は全文を一度に引いて置きましょう。作品名はゴシック体で破線で囲われています。「/\」はくの字点、「%\」は濁点を打ったくの字点です。

「事實小説」といふことは、單に「創作」といふものよりは、眞劍に描かうとする時、實/際は非常に困難なものである。何處まで事實といふものを重んじ、どの程度に創作化し/たらいゝか?――然るに本誌に應募した人々の「事實小説」を見ると、何れも前述の困/難な問題を巧みに處理して見せてくれたのは、まつたく嬉しいことだつた。その代り、/これを選査するのはなか/\の骨折だつた。採點してみると、前年にもさうだつたが、/大抵は五、六點の相違である。そして點の多い作品は、何か、點の少い作品よりも強く、/光つたものを作中から輝かせてゐるのである。――當選作品の讀後感をこゝに述べて、/應募者諸君に敬意を表する。
 [東太郎の日記]  題名の通りに日記體で描かれてゐるのだが、巧みにその時々の事/件の眞の中心をキヤツチしては描きつゞけてゐるので、日記體の平凡化や常套化からす/らり/\とのがれてゐる。作品の内容は可成りに有名なある浪花節語りを中心に一座の/動きが扱はれてゐるのだが、その内容を盛るフオームは日記體が實にピツタリと當ては/まる。この内容に日記體といふフオームを選び出したのは、この作者の何よりの手柄で/あり、それが一等當選の有力な因子である。――この筆者は隨分書き馴れた腕の持主で/もある。
 [移民地のある女]  心理にかなりの注意を拂ひ、その心理を人間のそれ%\の動き/で示さうと努め、それが或點まで成功してゐる。殊に新聞小説式に短く一回々々を切つ/て興味を次々へと引張つてゆくのも、深い用意が見られる。
 [丸ビルの女達]  筆者は女性らしく、丸ビルへ通ふ男達を評する言葉などは、なか/なか鋭い。私小説式に一人の女性の口から語られるが、魔者のやうな、美しい龍宮とも【上段】觀られる、近代都會の一つの魅力存在物ビルデングといふものを、ふんわりと浮かせて/ゐる上手さ! この上手さが誰をも捉へる。
 [細君と妓生]  惡い夫(いろ/\の意味での)を持つた若い細君と、その隣人の男と/の、次第に昂まりゆく戀愛感情の推移に、植民地人の一特異觀が見られる。
 [山 村 日 記]  説明のくどさが少し全體の色を弱めてはゐるが、澱みのない描き方/の中に、文化の浸入に負けてゆく山村の人々の姿が、讀む者の心に憤激を呼び起させる。
 [    ]  船長の姿が實に巧みに浮き出てゐる。何んとなく外人くさい心理や/風采が船長に感じられるが、國際人である船乘りには、かういふ人もゐるだらう。「陸」/といふ題もよく選ばれた題である。  
 [大阪から來た踊り子]  内容の事實の進行に少しまだるさが感じられたが、全體を/説明調子で進めて、若い踊り子の生活をこれだけに現したのは、矢張り魅力だ。
 [要 塞 地 帶]  モ少し内容は整理されたらとのうらみもあるが、男女關係に惱む人/人の樣々の動向が、何か起りさうな不安の興味を呼ぶやうな、一種のネバツこい描寫/が、變つた色を示してゐる。
 [私 生 兒]  一人の少女に關係した男達が、次ぎ/\と描き出されてくる。複雜/の單純化ともいふような賢い扱ひ方が、相當に功を奏してゐる。
 [霧の夜汽車]  事件の肉薄性に缺ける處があるが、それは小さなキズと見れば、ユ/ーモアもあり皮肉もあり、相當面白い材料を生かし描いてゐる。
 以上が當選作品であるが、落選作にもいろ/\の意味でまざ/\と印象に殘るものに/「御令孃慘殺」がある。然し餘りにエロが勝ち慘酷が如實すぎる。また「強い人達」は人/生を甘く見くびってゐる作者の心が、描寫に惡達者感を抱かせる。「キネマ行路」は映畫/界の外廓ばかり強すぎて内面に缺けるうらみがあり、「彼女の解決法」は破倫が眞正面か/ら肯定される心配があり、「神奈子の日記」は惜しいものだが、何故かちよい/\中に醫/者の感想を加へたり、ちと小うるさいといふ感じを與へたのが、殘念に思ふ。それから/「お房の貞操」これは非常に印象深く迫るのだが、事實小説といふよりは「奇風俗」とか/「奇習慣」とかの方へ入るものであらう。妄言多謝。


 なかなかに興味をそそる書き振りで、戦前の風俗を知る手懸りになりそうです。私は今のところ「東太郎の日記」以外の作品まで手を伸ばすつもりはありません(というより手が回らない)ので、内容を窺わせるものとして選評全文を示して見ました。
 では次回から、「選評」でも激賞されている「東太郎の日記」を見て行くこととしましょう。(以下続稿)
追記10月17日付(10)にて述べますが、「東太郎の日記」は山本禾太郎の著作として既に発見・報告されていました。ただ、詳細に及んだものではないので、予定通り本文を紹介することとします。