瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎「東太郎の日記」(10)

 前回の【追記】について片付けて置きましょう*1
 山本禾太郎について調べ始めてまだ1ヶ月半なのでまだ見ていない文献ばかりで、今は見る傍からメモを取っているのですけれども、昨日、仕事の帰りに返却期限で立ち寄った図書館で、Amazonレビューに山本氏に関する記述の存在を指摘されていた次の本を見てみました。
・論創ミステリ叢書25『戸田巽探偵小説選Ⅰ』2007年4月10日初版第1刷印刷・2007年4月20日初版第1刷発行・定価2600円・論創社・348頁

戸田巽探偵小説選〈1〉 (論創ミステリ叢書)

戸田巽探偵小説選〈1〉 (論創ミステリ叢書)

・論創ミステリ叢書26『戸田巽探偵小説選Ⅱ』2007年5月10日初版第1刷印刷・2007年5月20日初版第1刷発行・定価2600円・論創社・374頁
戸田巽探偵小説選〈2〉 (論創ミステリ叢書)

戸田巽探偵小説選〈2〉 (論創ミステリ叢書)

 『Ⅰ』331〜348頁、横井司「解題」の342頁5〜6行め、戸田巽(1906.5.3〜1992.3.15)の「没後/十五年目にして初めてまとめられる著作集」です。
 山本禾太郎の「東太郎の日記」に関する記述があるのは『Ⅱ』325〜355頁「随筆篇」7篇のうちの5番め、343〜346頁「近頃の探偵小説は造花である」です。344頁4行めから345頁1行めを抜いて置きましょう(343頁は扉)。

 新青年「窓」を書いてデビュー、週刊朝日に「東太郎日記」が当選して、懸賞なんかあま/いものだとニヤリと笑った。事実、山本さんは懸賞物に応募して落ちたことがない。悪くても/佳作にははいる。つまり、実力があった。
 羽坂通の庶民街に住んでいて、近所の人は文学などどこを向いているのかと言った他愛のな/い人ばかりで、
 「山本さん、また儲けよったな、小説はボロイな、お寺の坊さんよりボロイ商売や、第一、/資本がいらん。一体こんどはナンボ儲けたんや」
 と、ヅケヅケときく。
 「わしも、小説書きとうなった」
 と、真顔で言うのへ、
 「あほぬかせ、君等に小説がかけたら、お天道さんがまっくらになる、あほ言わんと、はよ、/かえり」
 山本さんは苦笑して、近所のワカラズヤを追っ払うのが大変であった。


 10月13日付(06)に引いた、九鬼紫郎『探偵小説百科』が「東太郎日記」としているのは、ここに由来するようです。そしてこの題が『探偵小説百科』から山下武『探偵小説の饗宴』へと引き継がれたようです。
 羽坂通は現在も兵庫県神戸市兵庫区で、10月15日付(08)に引いたように当時の山本氏の居住地です。今の住居表示に「二丁目七四ノ一」はありませんが、山陽本線兵庫駅に近い一画です。
 それでは『Ⅱ』357〜374頁、横井司「解題」の関係箇所を抜いて置きましょう。370頁16行め〜371頁7行め、

 「近頃の探偵小説は造花である」は、『日本探偵作家クラブ関西支部会報』一九六一年一一月号/(通巻六六号)に掲載された。単行本に収められるのは今回が初めてである。
 山本禾太郎の思い出から始まり、同時代作品への苦言を呈するに至るエッセイで、戸田の探偵小説/観を垣間見ることができる。なお、山本についての回想としては他に「わが師」(『関西探偵作家クラブ会報』一九五一年四月号、通巻三八号)があるが、初出紙を入手できず収録がかなわなかった。
 本文中、山本禾太郎が『週刊朝日』に「東太郎日記」を投じて当選したとあるが、正しくは「東*2/太郎の日記」という題名で、一九三四年一月一日発行の『週刊朝日』特別号に掲載された。同誌が/創刊十周年の記念事業として募集した「懸賞事実小説」の第二回募集に一等入選を果たしたもので/ある。「東太郎の日記」については、多くの資料に言及されているものの、これまで初出年月がは/っきりしなかった。ところが林喜芳の『神戸文芸雑兵物語』(前掲)に、禾太郎が米島清の別名で/劇作にも手を染めたことがあると書かれているのをきっかけに、「東太郎の日記」の初出誌を確定/することができたので、報告がてら記しておく。‥‥


 論創ミステリ叢書『山本禾太郎探偵小説選』刊行時には未刊だった、10月10日付(03)に紹介した『戦前期『週刊朝日』総目次』をこのときは参照出来ましたから、下巻の「執筆者索引」で「米島清」を引けば良かった訳です。
 ところで、山本禾太郎本人らしい「山木東太郎の日記」からの抜粋、という設定になっている「東太郎の日記」の「東」に、「あづま」という振仮名を附しています。いえ「山本禾太郎」らしい、というより本名の「山本種太郎」の方が「本禾→木東」より「本種→木東」という捻りが分かりやすいですが、この姓名に附された振仮名は「やまきとうたらう」なのです。『戦前期『週刊朝日』総目次』だけで済ませて「週刊朝日」を見なかった、とは思いませんけれども、内容まで細かく確認してない(する必要を感じなかった)らしいのです*3
 詩人の林喜芳(1908〜1994)については『Ⅰ』の「解題」でもしばしば言及されています。『神戸文芸雑兵物語』については『Ⅰ』にも引用されていますが、ここに「(前掲)」となっているのは『Ⅱ』366頁14行めに「 林喜芳『神戸文芸雑兵物語』(冬鵲房、八六)によれば、‥‥」とあるからです。『神戸文芸雑兵物語』及びその記述は見る機会を得て詳述することにします。
 それはともかく、『Ⅱ』359頁1〜8行め、横井氏は戸田氏の経歴調査に関連して、

‥‥、その経歴はほとんど不明といってもいいくらいだった。ところが、怪奇映画の/監督として知られる中川信夫や、神戸の地方詩人である林喜芳*4と親交があったことを、偶然知るこ/とができ、探偵作家以前の戸田の活動や、戸田と『少年』との関係、さらには探偵作家グループを/含めた神戸在住の文芸グループの活動のありようなどが芋づる式に分かったのだから、驚いた。そ/の分野に通じたものにとっては常識だったのかもしれないが、探偵小説中心の資料のみでは判明し/えなかったことである。多くの先学の研究に感謝する一方で、己の浅学非才とともに、『新青年』/を中心とした探偵文壇主軸の、ひいては中央(関東)文壇主軸の探偵小説史観の限界を、今さらな/がら痛感させられた次第であった。

と述べています。「偶然」がどんなことなのか、気になるのですが、分かる・分からないの違いは僅かなきっかけや知識に拠るものです。
 そこで思うのは、この『戸田巽探偵小説選』収録の随筆や横井氏の「解題」では、『山本禾太郎探偵小説選』の時点で不明としていたこと、誤って伝えられていたこと、それから全く知られていなかったことを幾つか明らかにしているのですが、2011年3月30日付「Henry Schliemann “La Chine et le Japon au temps présent”(02)」の最後や2011年8月4日付「駒村吉重『君は隅田川に消えたのか』(4)」の冒頭などで主張したことですけれども、こうした刊行後に判明した不明箇所や新事実の補足訂正は、版元や著者・編者のHPのある個々の出版物のページにてフォローするべきではないでしょうか*5。私は何だか本格的に調べることになってしまって(けれどもまだまだ論文にするレベルには達しませんが)『戸田巽探偵小説選』まで手を伸ばしたのですが、そこまで行かない読者はこのことに気付かずに、私と同じような思い違い(?)をしないとも限りません。
 ところで、2011年2月13日付「コメント欄について」で断って置いたように、コメント欄で使って読者と交流して、情報募集などしていないことも、この際、良かったと思います。「そのことならもう『戸田巽探偵小説選Ⅱ』で明らかにされていますヨ」などというコメントを頂戴したら、やはり調べる意欲が殺がれてしまったことでしょう。知らなかったからこそここまで調べて、それで決して無意味であった訳でもないのですから、手柄にはなりませんが、良しとすべきでしょう。

*1:準備当時「前置きが長くなりましたが、」から始めていたが、この前置きは長くなり過ぎて明日、別に投稿することにしたので削除した。よって、いきなり本題に入ります。それから、この題の記事にはこれまで[小説の背景]というタグを附していましたが、過去に遡って[昭和史]のタグを追加することにしました。

*2:ルビ「あづま」。

*3:そんな次第で、10月13日付(06)の最後に書き添えた『山本禾太郎探偵小説選Ⅲ』の可能性はなさそうだと思ったので、その分に関する勇み足(?)を削除しました。

*4:ルビ「きよし」。

*5:増刷時に訂正・追補することも出来ますが、増刷にならない本もありますし、初刷を買った人が放置されてしまいます。