瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

試行錯誤と訂正

 これはもともと10月17日付「山本禾太郎「東太郎の日記」(10)」の前置きとして用意したものなのだけれども、長くなってしまったので本題の方を先にして、別に投稿することにしました。

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 私は山本禾太郎という名前を意識したのは、8月29日に某区立S図書館で山下武『探偵小説の饗宴』を手にして以来のことです。それだけなら、まぁこんな作家がいたんだ、で終りだったのですけれども、8月31日付「山本禾太郎『小笛事件』(1)」に書いたように、8月30日に「雪冤」というTVドラマを見たことで、山下氏の示した疑問点について、私なりに突っ込んでみる余地がありそうだと思えて来たのです。
 この『小笛事件』に関する調べ、というか憶測の提示、の方は、『京都の女性史』掲載の細川涼一「小笛事件と山本禾太郎」を読んだところで止まっています。――細川氏は山下氏が『小笛事件』にのみ寄りかかって一次資料たる当時の新聞に当たらず、さらに「謎の小笛事件その他」という副題を持つ鈴木常吉『本當にあつた事 續篇』も参照しないで、この本に収録されている被告の手記「寃囚斷想」に基づいて書かれている部分を、山本氏が「事実」を「小説」化するために「冤罪の身を嘆く」被告の「悩みや怒りを浪曲調で点綴」して見せたのだと極め付けたことを厳しく批判しています。今、手許に『京都の女性史』がないので細川氏の山下氏批判の詳細に及ぶことは出来ません(それは「山本禾太郎『小笛事件』(07)」と題して別に述べるべきでしょう)が、私は山下氏を弁護したいと思っているのです。
 2013年12月31日付「記述の方針について」にも述べたことですが、個人の出来る範囲は限られています。ある分野は得意だけれども、そこから外れると西も東も分からなくなってしまう、そんなケースは学界にも間々見られることなのです。――論文という建前になっている以上、全ての資料を揃えて吟味した上で発表、という段取りを踏んでいないといけないのですけれども、基本的な調べも出来ていないのに妄説を連ねているような“論文”が決して少なくないのです。こういうのが量産されると、真面目に研究するには全ての資料を検討することが準備作業として要請されていますから、困るのです。調べる能力のない連中が、いい加減な調べで思い付きを述べる一方、真面目にやろうとするとそんなものまで先行研究として敬意を払わないといけないのですから、手間ばかり掛かってしまいます。通説・定説が思い付きの域を出ないこともしばしばあり、全く注目されて来なかった論文に優れたものがあったりもすることを知っていると、一部に存する、通説・定説と違ったことを書いて足れりとしているような人の神経を、正直羨ましくも思えて来るのです*1
 しかし、真面目にやっても漏れはあります。そうすると、結局のところ、何を根拠にして書いたのか、そのことをはっきり示して置くよりない、と思うのです。
 私が山下氏を弁護したいと思うのは、この点をほぼクリアにしている点に於いてです。『小笛事件』という本を基に、雑誌「ぷろふいる」や小笛事件の鑑定に関わった医科大学の教授の著述を集めて、つまり山下氏の得手とする古書蒐集を基本として、自説を組み立てて行ったことが手に取るように分かります。図書館を利用する人ではなかったらしく、古書店の扱う古雑誌はともかく古書店の守備範囲ではない古新聞はその守備範囲外にありました。しかし守備範囲内にあるものは、鈴木常吉『本當にあつた事 續篇』を漏らしてしまうという大きな失点はありましたが、よく網羅していると云えます。
 私も、論文として書くなら出来る限りの材料を集めて、その上で筋を引いて、さらに必要に応じて補足の調べを重ねて、と云った手順を踏むのですけれども、ブログはもとよりそのようなものではないので、とにかく分かった範囲のことを、私の得手とする調べ方に拠りつつ、何を見たのか、原文そのままを明示しながら、書き進めるということにしています。
 研究みたいなことをしていると、ひょっとして未だ誰も気付いていない? と思って調べてみたことが、かなりの分量調べてもう大丈夫だろうと思った頃になって、実は大分前に気付いている人がいたことが分かった、なんてことがしょっちゅうにあります。ですから、常にその覚悟をしながら調べて、そして既に指摘されていることが分かったときは、その調べた分を捨てないといけません。しかし私は、この無駄足だった調べも、或いは後学が同じ轍を踏みかねないと思うので、示して置くべきだと思っています。いづれ改めて書くつもりですが、私は中村禎里(1932.1.7〜2014.3.13)の本で知った、「ネガティヴ・データ」も公表すべきだ、という考え方に共鳴する者です。当ブログで、しばしば、思い付きに過ぎない、好い加減なことを書いた資料まで取り上げて、真面目に論評して見せているのはそのためです。
 それはともかく、この余計な回り道も含めて、調べることを愉しんでいるのです。
 このネガティヴ・データも示すべきだと云う考えを実践するには、ブログという場所はなかなかに良いところだと思うのです。まず、間違いを書いてもその記事に訂正を追加出来ます。気付いた時点ですぐに対処出来ます。論文の場合、間違ってもすぐに訂正出来ません。かつ、悪質な人になると先行研究に目を通さずに胡乱なことを書いて、そもそも間違っていたのにその後も何の訂正も示さないのです。それもこれも、基本的に喧嘩しないという学界の風土と、投稿から掲載までかなりの時間があって、学会誌や紀要など年刊の雑誌では前号の訂正を出すにしても1年後になってしまう訳で、そのまま頬被りしてしまう手合いも少なくないのです*2
 尤も、ブログでは削除や、それと断らずに書き換えてしまうことも出来るので、それはそれで困った問題です(そういう性質から、扱いが軽くなってしまうのも、また致し方のないことです)が、そこは根拠を示し、後日の修正は注に示し、そしてどうしても削除すべき内容は見せ消ちにして置くことで、出来るだけ信頼性を保持しようと思っています。

*1:本当は憐れまないといけないのですけれども、不幸にしてそういう論文が、そのきらびやかな外観に惑わされた、事情を良く知らない手合いによって持ち上げられたりするのですから、そう達観してもいられないのです。

*2:このような、後で自説の至らざる点に気付きながら訂正を出さないというのは、悪い慣行にしか思われません。――論文に書いたことは論文で反論すべきであって、細々とした点について一々反応すべきでない、ということなのかも知れません。しかし、後年、その至らざる点の訂正を他の論文に書き添えるようなことをしたとしても、最初の出来損ないの論文の方だけを見てそれ以上調べずにうっかり物を書いてしまうような研究者もいる訳で、所属する学校・研究機関、本なら出版社、それから個人のHPなどで、そういう後出しの情報が分かるようにする仕組みが、必要なのではないでしょうか。それが出来ないのであれば、学界というものは相変わらず活字社会の段階に止まった閉鎖性と非効率性を脱しないでしょう。