日記の5日め。【 25 】頁上段4行めから【 25 】頁下段17行めまで。
今回新たに新字で代用した漢字は「脱・煙・喫・嘘」です。
×月×日
今日から〃曾我兄弟〃の改作だ。大圓氏自筆のネタ本を見ると、頼朝/のことを〃ヨリ友〃なぞ隨所にヘンなことが書いてある。これが脱稿す/るまで登城御免だ。*1
今朝、座員の人達が登城のため旅邢の玄關を出たと思はれるころ、お/ふくさんが一人で引き返し自分の部屋に這入つてきた。そして袂をさぐ/つて取り出したものを、ソツと自分の机に置いたまゝ默つて出て行つて/しまつた。それは滑らかな皮製のシガレツトケースだつた。見ると隅のと/ころに小さく金でT・Yと刻りこんである。中には兩切が詰めてあつた。*2
午後七時樂屋入り。*3
舞台裏でおふくさんに會つたが、おふくさんは自分を見ると顔を外向/けて逃げるやうに樂屋の方へ行つてしまつた。大圓氏の樂屋部屋に這入/つて見ると、おふくさんは舞台着を整理してゐた。*4
「あれ、ぼくにくださるんですか」
自分は袂のなかにシガレツトケースの滑らかな手觸りを感じながら言/つた。*5
「えゝ……」
おふくさんは笑つてゐた。*6
「僕は煙草を喫まんのですが……」*7【26上】
「それ知つてますわ。記念に喫みはじめてほしいの」*8
年中旅ばかりで暮したおふくさんは、大阪辨と標準語みたいなことば/をまぜて使つた。*9
「記念? なんの記念です」*10
「わたしと……一座したキネン……」*11
「さうですか。僕も煙草を喫みはじめやうかと思つてゐたんです。では/貰つときます」*12
「さう、貰つてくださる……この間お願ひした寫眞頂戴。ネ」*13
「二三日中に寫してあげませう」*14
「イエ、そんなンいりまへんの、あんた小さい寫眞持つてゐやはりまつ/しやろ、あれ一枚しやうだい」*15
「あんな小さな豆寫眞、あれでもいゝんですか」*16
「小さいはうがよろしいの……お守に入れとくのに……」*17
自分が樂屋で煙草を喫んでゐるのを見て、座の人達は〃山木さんが煙/草を喫みはじめた、この次は女を買ひに連れて行く〃などひやかした。*18
自分はシガレツトケースを買つたと嘘をいはなければならなかつた。*19
福井、太平座二日目、入り九分。*20
*1:ルビ「けふ・そがきやうだい・かいさく・だいゑんしじひつ・ほん・み・よりとも/とも・ずゐしよ・か・だつかう/とじやうごめん」。
*2:ルビ「けさ・ざゐん・ひとたち・とじやう・りよくわん・げんくわん・で・おも/り・ひ・かへ・じぶん・へや・い・たもと/と・だ・じぶん・つくゑ・お・だま・で・い/なめ・かはせい・み・すみ/ちひ・きん・ほ・なか・りやうきり・つ」。
*3:ルビ「ごご・じがくやい」。
*4:ルビ「ぶたいうら・あ・じぶん・み・かほ・そむ/に・がくや・はう・い・ゑんし・がくやべや・はい/み・ぶたいぎ・せいり」。
*5:ルビ「じぶん・たもと・なめ・てさは・かん・い/」。
*6:ルビ「わら」。
*7:ルビ「ぼく・たばこ・の」。
*8:ルビ「し・きねん・の」。
*9:ルビ「ねんぢうたび・くら・おほさかべん・へうじゆんご/つか」。
*10:ルビ「きねん・きねん」。
*11:ルビ「ざ」。
*12:ルビ「ぼく・たばこ・の・おも/もら」。
*13:ルビ「もら・あひだ・ねが・しやしんちやうだい」。
*14:ルビ「にちちう・うつ」。
*15:ルビ「ちひ・しやしんも/まい」。
*16:ルビ「ちひ・まめしやしん」。
*17:ルビ「ちひ・まもり・い」。
*18:ルビ「じぶん・がくや・たばこ・の・み・ざ・ひとたち・やまき・たば/こ・の・つぎ・をんな・か・つ・ゆ」。
*19:ルビ「じぶん・か・うそ」
*20:ルビ「ふくゐ・たいへいざ・かめ・い・ぶ」。