日記の9日め。【 28 】頁下段5行めから【 29 】頁上段9行めまで。
今回新たに新字で代用した漢字は「並・述・寛・雪」です。
×月×日
今日は四五日前から決まつてゐた圓八君夫婦の退座の日だ。これは主/として圓八君の希望によるもので、圓八君はおふくさんを座長に押し立/て、地方巡業の座を組まうといふ腹らしい。*1
「いよ/\お別れのときがきましたネ」*2
「エヽ、……でも、そのはうが都合がよろしいの」*3
「どうしてゞす」
「あの人と別れるのに……」*4
自分にはその意味が判りかねたが、おふくさんには堅い決心の色が見/えてゐた。*5
「たゞ、一年の間、あんたのお身體に變りがないか、それだけがすこう/し……」*6
おふくさんは自分の顔を見て、意味ありげに笑つた。*7
自分達は同じ列車に乘つた。一座は名古屋へ直行、圓八君夫婦は龜山/で關西線に乘り替へ一先づ大阪へ歸るのである。*8
自分は汽車だけ幹部並に二等だつた。おふくさんはすぐ次の三等に乘/つた。列車が龜山に着くまで幾度窓から首を出して見ても、おふくさん/はこちらを見てゐた。*9【28下】
列車が龜山驛に着くと、おふくさんは自分の窓にも挨拶に來た。叮嚀/に挨拶を述べてから〃キツと一年〃と低聲で囁いた。*10
自分は、おふくさんのために、菊池寛氏の作品に取材して書きあげて/ゐたネタ本〃義民新助〃の表紙に〃櫻中軒花奴〃改め〃富士雪子〃と書/いて渡した。*11
名古屋では、大圓氏と幹部連は一藤旅邢。自分達は御園邢に投じた。*12
堪へ難い淋しさだが、また一方には危機を脱し得たやうな心の輕さを/覺える。*13
本日休み。*14
*1:ルビ「けふ・にちまへ・ゑん・くんふうふ・たいざ・ひ・しゆ/ゑん・くん・きぼう・ゑん・くん・ざちやう・お・た/ちはうじゆんげふ・ざ・く・はら」。
*2:ルビ「わか」。
*3:ルビ「つがふ」。
*4:ルビ「わか」。
*5:ルビ「じぶん・いみ・かた・けつしん・いろ・み/」。
*6:ルビ「ねん・あひだ・からだ・かは/」。
*7:ルビ「じぶん・かほ・み・いみ・わら」。
*8:ルビ「じぶんたち・おな・れつしや・の・ざ・なこや・ちよくかう・ゑん・くんふうふ・やま/くわんさいせん・の・か・ひとま・おほさか・かへ」。
*9:ルビ「じぶん・きしや・かんぶ・とう・つぎ・とう・の/れつしや・やま・つ・いくたびまど・くび・だ・み/み」。
*10:ルビ「れつしや・かめやまえき・つ・じぶん・まど・あいさつ・き・ていねい/あいさつ・の・ねん・こごゑ・さゝや」。
*11:ルビ「じぶん・きく・くわんし・さくひん・しゆざい・き/ほん・ぎみんしんすけ・へうし・おうちうけん・あらた・ふ・ゆきこ・か/わた」。
*12:ルビ「なこや・だいゑんし・かんぶれん・ふじりよくわん・じぶんたち・み・くわん・とう」。
*13:ルビ「た・がた・さび・はう・きき・だつ・え・こゝろ・かる/おぼ」。
*14:ルビ「ほんじつやす」。