瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎『消ゆる女』(3)

 それでは、昨日引用した「小林文庫の新ゲストブック/過去ログ 2000年01月01日〜2000年06月30日」で石井氏が言及していた九鬼紫郎『探偵小説百科』を見て置きましょう。
 『探偵小説百科』の「山本禾太郎」項については10月13日付「山本禾太郎「東太郎の日記」(06)」に説明しました。
 関係箇所を抜いて見ましょう。128頁下段10〜14行め*1

‥‥。禾太郎は青年時代は夢多い文学/青年で、職業も転々とし、浪花節の一座に顧問のようなか/たちで入りこみ、各地を放浪したこともあった。この珍し/い体験が“神港夕刊新聞”に連載された『消ゆる女』(昭/和二二年、梅田出版社刊)に、色こく現れている。


 この「顧問のようなかたち」という山本氏の「浪花節の一座」での位置は、山本氏の小説「東太郎の日記」からも窺われますが、11月6日付「山本禾太郎「東太郎の日記」(29)」及び11月7日付「山本禾太郎「東太郎の日記」(30)」に梅中軒鶯童『浪曲旅芸人』の記述と合わせて検討して置きました。
 それから石井氏が「この表紙はすごいですね」と云う書影ですが、129頁上段1〜6行め、上部15字分に掲載されています。右手の小指で下唇に紅を差す、ちょっと軽い感じの若い女性のイラスト、左に「女浪曲師 京 山 秋 野 傳/消える女   山 本 禾 太 郎 著」と読めますが上と左が切れています。
 「誉め」ている箇所は、129頁下段17〜20行め、

 戦後の禾太郎は“神港夕刊”紙上に(二二年)、『消ゆる/女』を連載した。これは力作であり、彼の最後の作であろ/う。若い美貌の女浪曲師の、出生の秘密を追究するストー/リイで、人間描写・風景描写に格段に冴えた作品である。/‥‥

とあります。
 論創ミステリ叢書26『戸田巽探偵小説選Ⅱ』所収「近頃の探偵小説は造花である」にも記述があります。10月17日付「山本禾太郎「東太郎の日記」(10)」に引いた箇所の続きに、345頁2〜7行め、

 その山本さんも次第に推理小説に熱を失い、晩年脚本にこり出し、二三作が二流劇団で上演/されたことがある。しかし、筆は折ったが、推理小説への関心はあった。
 終戦後、関西から香住春吾、島久平の二人が出た。これが刺激になって、山本さんは長編/「消ゆる女」を神戸新聞に連載、気を吐いた。そして、西田政治氏を会長に、氏が副会長にな/って、神戸探偵小説作家クラブを結成したが、惜しむらく実力を抱きながら他界されたことは/何としても心残りであった。‥‥

とあります。横井司「解題」の関係箇所もやはり続き、371頁7行め〜11行めに、

‥‥。なお、「消ゆる女」とあるのも「消える女」が正/しく、初出紙は『神戸新聞』ではなく『神港夕刊』で、一九四七年九月九日(?)から一一月一七/日まで六十四回にわたって連載された(第一回分の初出紙を実見できず、九月九日というのは連載回数から逆算した日付である)。四八年に梅田出版社から刊行されたが、その後「心の狐」と改題の上、/『妖奇』五〇年一〜四月号に再録されている。

とあって、10月5日付(1)に引いた論創ミステリ叢書14『山本禾太郎探偵小説選Ⅰ』の横井氏の「解題」よりも詳しくなっています。
 ここで注意されるのは、実際に本を見たはずの九鬼紫郎・戸田巽・山下武が『消ゆる女』と書き、伝聞なのですが「小林文庫の新ゲストブック」では『消える女』とは別に存在するとされていた『消ゆる女』を、横井氏が明確に誤りとしていることです*2
 「妖奇」は国立国会図書館デジタルコレクションに入っていますがインターネット公開にはなっていないので、先月初めに端末で閲覧可能なことは確かめてあるのですが、その後目を通す余裕がありません。時間のある折にでも国会図書館の端末にかじりついて目を通そうと思っています。(以下続稿)

*1:前半は11月10日付「山本禾太郎「東太郎の日記」(33)」に引いた論創ミステリ叢書14『山本禾太郎探偵小説選Ⅰ』の横井司「解題」に引かれていた。

*2:そうすると「山本禾太郎『消ゆる女』」と題しているのは可笑しいことになりますが、実際に本を見て書こうとしない私らしいと云えましょうか。しばらくそのままにして置きます。