瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎「第四の椅子」(5)

讀賣新聞社「本社五十五周年記念懸賞大衆文藝」(5)
 さて、前回紹介した締切直後の記事には「七八の両月」を「社内予選」に当て「九月上旬」に「予選合格」作品を「発表」、そして「九、十の両月間」に「予選パッス者」が送付済みの20回分に加えて梗概だけであった残りの100〜130回分も完成させて「選者の選」を仰ぐという段取りだったのですが、大きくずれ込むことになりました。
 昭和三年九月二十三日(日曜日)付「讀賣新聞」第一万八千五百二十三號*1の(四)「〈文/藝〉日曜附録」面、12段組の4〜6段め、中央に3段抜きで、右半分は見出しで上部には横組みで「圓千八社本/の藝文賞懸」とあって、読み順を示すかのような線が引いてあります。そして「の」から3つの直角を含む直線で下にある縦組みの見出しに繋げてあります。

第一豫選發表
十月廿日と决す
  嚴選のため手間取つたが
  九分九厘まで終了


 文字は全て明朝体ですが大きさ(太さ)の違いを示すために仮にこのように示しています。
 本文は以下のようになっています。

本社創立五十五周年記念八千圓懸賞募集の内、長篇小説並びに大衆文藝は既報の如く長篇千百五十篇/大衆文藝九百二篇といふ未曾有の應募數に達した爲め之が撰擇に存外手間どり、第一回豫選の發表は/遺憾ながらお約束の九月上旬に實現する事が出來ませんでした。之は選者として全部の作品が 悉 く/作者の心血を濺がれたものである事を思ふ時、たとへ一篇たりとも之を輕視する能はず、一層愼重の/態度を以て嚴選すべきであるといふ責任感から生じた已むを得ざる結果に外ならぬのであります。然/し豫選は今や大いに進捗して殆ど九分九厘まで終了したので、愈々來る十月二十日の紙上において第/一回豫選の結果を發表する運びとなりました。果して如何なる人々が豫選の第一階梯を通過し得たか/は、其の日の紙上で御覽ください、因に此の豫選の發表方に關してこれまで多數お問ひ合せ下すつた/方々に對しては本社告をもつて御返事に代へることにしました。*2


 「九分九厘まで終了」と云いながらさらに約1ヶ月待たせると予告している訳で、額面通り受け取る訳に行きませんが、この辺り、「社内予選」がどのような按配だったのか、気になります。誰か元社員で回想を残している人などいないものでしょうか。(以下続稿)

*1:上欄外に右からの横組みですがそのまま再現しませんでした。全10頁。

*2:12月13日追記】ルビ「ほんしやさうりつ・しう・きねん・けんしやうぼしふ・うち・ちやうへんせうせつなら・しうぶんげい・きはう・ごと・ちやうへん・へん|しうぶんげい・へん・みそう・おうぼすう・たつ・た・これ・せんたく・ぞんぐわい・ま・くわいよせん・はつへう|ゐかん・やくそく・じやうじゆん・じつげん・こと・でき・これ・せんしや・ぜんぶ・さくひん・こと%\|さくしや・しんけつ・こと・おも・へん・これ・けいし・あた・そうしんちよう|たいど・もつ・げんせん・せきにんかん・しやう・や・え・けつくわ・ほか・しか|よせん・いま・しんちよく・ほとん・しうれう・いよ・きた・しじやう|くわいよせん・けつくわ・はつへう・はこ・はた・いか・ひと・よせん・かいてい・つうくわ・え|そ・しじやう・ごらん・ちなみ・こ・よせん・はつへうかた・くわん・たすう・と・あは・くだ|かた・たい・ほんしやこく・ごへんじ」改行箇所を「|」で示した。濁点のあるくの字点は「%\」で代用した。